- 捨てる英語、拾う英語

このブログは、井上大輔が日々思ったことをカメハメハ的につらつら書き並べていく雑記帳です。内容は、日々折々のことから語学のことなどがメインになるかと思われます。
作成者のプロフィールはこんな感じです。
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【発行者】井上大輔
【資格】TOEIC 980, TOEFL 277
早稲田大学英文学専修卒業後、早稲田大学大学院仏文専修に進学
現在は、上智大学外国語学部大学院で言語学と英語教育を専攻
【著書】 フランス語会話フレーズブック(明日香出版社)
捨てる英語 拾う英語(クロスメディアパブリッシング)
【HP】ポッドキャストでフランス語
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【お問合せ】info@kamehameha.jp
Copyright(C) 井上大輔 All rights reserved
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2017-07-07 00:00:00|
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footballista060号アフリカネーションズカップ特集 販売元:サッカーショップ加茂
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今週号のフットボリスタを買ったら(ちなみに上の号ではありません)、コラムのコーナー(p34です)に興味深い記事が載ってました。スペインで戦術家として知られる監督に「戦術」をテーマにしてインタビューしたら、そのインタビューの終わりに「日本人は戦術が好きだな。それはいいことだけど、戦術は決まった形がある訳じゃないから、戦術を知りたいならたくさん試合を見ないと行けない」ということを言われたとのことでした。これは面白いと思うんですよね。
この前から言ってることと通じますが、やっぱりこう「戦術を知りたいー>戦術家で知られる監督に話を聞こう」というのは、ある意味安易に過ぎる面もあるんでしょう。もちろん、そうやって自分では見えてないことを見えてない人に何かを学ぶというのは、それ自体はすごく好いことなんですけど、でもそれとは別にやっぱり実際の試合を見ることでしか学べないことがあるかなと。
なんでかっていうと、言葉というのは非常にデジタルなものなので、言葉で説明するとどうしても捉えきれないものが出てきてしまうからです。数字のような他の記号と同様、言葉というのも具体的な要因を切り捨てることによって成立しているので、どうしても言葉で説明しようとすると、切り捨てざるを得ないことが出てきましまうので、それを補うためにはどうしても実際に自分の目で見てみることが必要になってくるわけですよね。そう言う意味では、この「戦術家の監督」が、「戦術を学ぶのも好いけど、とにかくサッカーを見ろ」的なこと行ってるのは面白いなと思いました。
ところで、サッカーと言えば、日本が今度ワールドカップで当たるカメルーンがアフリカネーションズカップで負けてましたね。どういう負け方をしたのかわかりませんが、まあでもカメルーンならそういうこともあるのかなと。何しろ、彼ら集中力がないですからね。2002年のアイルランド対カメルーン戦をテレビで見てたんですけど、あの時も一点取ってからあからさまに選手の集中力が切れてて、見ててびっくりしました。なにしろ、アイルランドのコーナーキックでカメルーンの選手全員棒立ちって時もありましたからね。キーパーマジ切れしてましたけど、そりゃ起こるよみたいな。おかげで、最後の最後にアイルランドに追いつかれてました。
でも、考えてみると、これはカメルーンに限らないのかも知れません。手持ちのフットボリスタにも、アンゴラとマリの開幕戦で(ちなみにアンゴラが開催国です)、79分までアンゴラが4-0で勝ってて、その後11分間でマリが4点決めて同点になったという記事が載ってますし。11分で4点ってどんな試合だと思うんですが、でもそういや2009年の日本ーガーナ戦も多分10分ぐらいで3点決めて、日本が逆転勝ちしてました。あの時、スポーツ紙はみんな「ガーナはワールドカップの出場決めて疲れてたから、こんな逆転勝ちは参考にならない」と言ってましたが、確かにそれはそうなんでしょうが、でもこういう記事呼んでるとそれがアフリカクオリティー何じゃないかという気もしてきます。
だから、そう言う意味では、個人的には次のワールドカップで日本が勝てる可能性が一番高いのはカメルーンじゃないのかなと言う気もするんですよね。なんか、最初に2点ぐらい入れられて、「もう勝ったみたいな」気分になってカメルーンの集中力が欠けたところで、向こうのディフェンスラインがザルになって、なんとなく3点ぐらい決めて勝つというのが、案外あり得そうな気が…。逆に、最初のころをゼロで乗り切って、70分ぐらいで一点決められるというのが一番きつそうな気が。それくらいだと、向こうの集中力も持つでしょうし。なんとなく、大量得点の雑な試合に持ち込むと、案外勝てるのかなという気がします。
ところで、先日修士論文を出して、今はケルアックの翻訳をもっぱらやってるんですが、やっぱりこの方が楽しいですね。言語学向いてないのかな?まあ、個人的な一番の関心は、多分SLAの方にあると思うんですよね。やってみたら違うのかも知れないけど、授業受けてる分には、実に楽しそうだという気がするし。でも、SLAだとどうしても英語の話が大きくなってしまうのがどうも。僕は多分ロマンス語がやりたいんですよね。しかし、一方で、ロマンス語だとやはり横断的にやるのはどうしても難しいので、論文とかにまとめようとするといまいち上手くまとまらないというのはあるのかなと。なんつーか、いまいちどこに自分の身分があるのかよくわからないという気もしますし。まあ、でも上智はSLAとロマンス語をやるという意味では、かなり良い環境でしたが。まあ、しかし、そう言う意味では、多少博士課程進むというのも、冷静に考えると少し考えますね。
ただ、一方、自分の仕事をすると言う意味では、やっぱり上智いたほうがいろいろやり安いのかなあという気はします。ああいう風に色々な言語の専門家が集まる場所というのは大学以外だとあまりないですし、その利点を受けるためにはやはり学生の方がいいのかなと。まあ、色々考えますね。まあいいや。
まあ、しかし、何にしろ、今年は少し本の仕事を頑張ろうと思います。最近書いてくれという依頼はもらうようになってきたので、後は本を書くだけです。ていうか、ほんとは昔からそうだったんじゃないかという気もしますが。色々な人を見てて思うですが、筆で身を立てることの何を難しいって、仕事をもらうのが難しいんじゃなくて、単純に定期的に本を出し続けることが難しいんですよね。雑誌のライターとかは知りませんが、単行本の場合本を出すのはむちゃくちゃ簡単なんですよね。なんでかというと、本そのものを書ける人が少ないから。だから、一冊本を出したら、大体次の仕事はたくさん来るんですよね。
でも、単行本の場合は、書き上げた後じゃないとお金が入ってこないので、その間の生計をどうするかと言う問題が出てくるわけですよ。で、その結果結局他の仕事を優先にしてしまって、結局本が出ないということになっちゃうわけですよ。で、本を出すというのもやはりある程度のスキルですから、多分書けば書くほど出すのは早くなってくるんですが、逆に言うと書かないままだと多分ほかのことがどれだけ出来ても、書くスピードそのものはあがらないわけです。だから、そうやってほかのことを優先していると、書くスピードが遅いままだから、執筆でお金が入ってこず、ほかの仕事を優先せざるを得ないという悪循環に成っちゃうわけです。
まあ、じゃあ、どうすればいいかと言うことなんですが、これは僕もよくわかりません。何でかというと、自分自身まだそのステージにいるから。ただ、個人的には、ここでもやはり意図的にスピードを落とすことなのかなと思います。これはあくまで想像なんですが、なんでほとんどの人が本を早く書けないのかというと、多分あれは最初から本になる原稿だけを書こうとするからじゃないでしょうか?少なくとも僕の場合はそうでした。早く書かないとお金が入ってこないからと言うことで、効率的に書こうとするんですけど、当然書く過程で自分自身が変わってくるわけですから、当然効率的に書こうとしてもうまくいかないわけですよね。
でも、そうやって本の依頼が来るようになってわかったんですけど、書いたことってのはたとえその時に書いている本に載せられなくても、別の本の原稿の元になるんですよね。だから、あんまり効率的ってことを考えなくても、とにかく書いておけばいいのかなと。そうすれば、次の本のネタになるし。世の中には、恐ろしいペースで本を出している人がいますが、あれは多分書くスピードが速いと言うより、多分自分が書いたものを上手く整理して行くのが上手いんだと思うんですよね。だから、どんどん本が出せるし、その結果依頼がもっと来るようになるから、さらにうまく自分の書いたものを利用できるようになると。
だから、とにかく量を書いておくことが大切なのかなと。まあ、相変わらずまとまりがありませんが、多分そんな感じです。
2010-01-15 11:11:56|
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Secrets of the Millionaire Mind: Mastering the Inner Game of Wealth著者:T. Harv Eker
販売元:HarperBusiness
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また全然関係ない話なんですが、個人的には謎の二項対立を作らないというのが、いろいろなことをやるこつなんではないかなと思ってます。謎の二項対立というのはどういうことかというと、まあ例えば語学の話で言えば、単語を覚えるときに「本で覚える<->多読・多聴で覚える」みたいな対立だったり、DVDで英語を勉強したりするときに「英語字幕を最初から出す<->最初は英語字幕を出さないで聞く」という、そういう一見意味のあるように見える対立のことです。
なんでこれが無意味かというと、時間軸の観念を取り入れると、この対立って結構簡単に消えてしまうことが多いからです。例えば、単語を覚えるときに本で覚えるか、それとも多読で覚えるかにしても、例えば受験勉強みたいにある程度それまで単語をがりがり覚えてきた人にしてみれば、逆に一時的に単語を覚えるのを辞めて、多読や多聴をするというのは、今まで明示的な物として覚えてきた知識に暗示的な知識を付けくわえると言う上で非常に効果的です。で、逆に今まで多読や多聴を通して単語を勉強してきた人は、単語の本を使って単語を覚えるというのは、今まで蓄えてきた暗示的な知識の存在を意識することで明示的な知識を増やすと言う意味で効果的でしょう。リスニングに関しても、例えば英語字幕を見ない勉強というのはTOEICのリスニングなどの勉強を通して意図的な学習をしてきた人には偶発を起こすと言う意味では効果的でしょうし、逆に今まで実際の会話などを通して偶発的に英語を学んで来た人にとっては、コミュニケーションをしているだけだとないがしろになってしまいがちな知識を意図的に学ぶという上では、効果的なはずです。
まあ、語学の学習というのが、ある言語的形式とそれが読書や会話といったコミュニケーションで持つ意味というのを結びつけることである以上、別にそれが言語形式から入ろうと意味的な側面で入ろうとどっちでもいいと思うんですが、ただどっちの形式からはいるにしても、ある程度勉強してると自分が変わるんで、そしたらその時にあった勉強をすればいいと言うだけのことだと思うんですよね。しかし、見ていると、どうもどちらかの勉強を突き詰めてからではないと、もう一つの勉強をしてはいけないと思っているような人が多いのではという気がします。
例えば、リーディングの勉強だったら、例えば100万語多読が終わるまで文法の勉強をしちゃいけないという多読派だったり、逆にきちんとした英文解釈力がつくまでは多読をしてはいけないという精読派だったりありますが、個人的にはこういう考え方はどちらとも極端だと思うんですよね。もちろん、好みがあるから多読でやった方がいい人もいるし、ぎゃくに精読できちんと読みたいという人もいるとは思うんですけど、ただどちらのやり方をやるにしても、相手のやり方をある程度取り入れた方がいいと思うし、実際そうしたくなると思うんですよね。例えば、多読をしているとどうしても「これって文法的にどうなるんだろう?」って思いますし、逆に精読をしていると「そろそろこういう本読めるんじゃないかな」って思うと思うんですよね。そう言うときは、多読をしているとはいえ「ここは文法的にこうだよ」と教えた方が読解力も高まるだろうし、逆に精読をしている人も多読をすることでそれまで身につけた読解力を更にのばすことが出来ると思うわけですよ。
でも、見てるとどうもそうは思わないようで、例えば多読派の人であれば「そうやって文法的な理解を教えると頭が日本語に囚われてしまうから、そうやって日本的な英文解釈をしちゃダメだ」って書いてる場合が多いですし、逆に精読派の人は多読に対して「まだ精読がきちんと出来ないうちから多読をしていると間違った読み方が身に付いてしまうから、多読はしない方がいい」みたいなことを書いてることが多いです。でも、本当にそうなんでしょうか?この二つの考え方に共通しているのは、「一度間違った考え方を覚えると、それはもう体に染みこんでしまうから、最初から正しいやり方でやった方がいい」と言うことですが、でも、間違ったこと覚えても、その後正しいやりかた教えたら正しいやりかたが身につくんじゃないでしょうか?
ここらへんは学習と言うことをどう捉えるかにも変わってくるのでしょうが、個人的には何かを学ぶと言うことは入ってきた情報を単純に体内に蓄積することではなくて、自分なりに意味のある体系として捉え直すことだと思っているので、その後で正しい解釈方法を提示されれば、たとえ一度間違って解釈されたとしても、その後正しい体系の中に取り込まれるのではないでしょうか?そう言う考え方をすると、たぶん「多読と精読どっちがいいのか」という謎の対立に囚われることはなくなると思うんですよね。なんでかというと、この対立というのは結局一度学んだことが再解釈されることはないということに成り立っているからであり、もしも一度学んだことでも再解釈されうるという発想に切り替えると、どちらを先にやるかという時間軸の問題になるからです。
そう言う意味では、最初に書いた時間軸うんぬんよりは、むしろ学習観のとらえ方というのが大きいのでしょうか?でも、この間違った内容を学習しても、後で抜き去ることが出来るというのは大切な気がします。考えてみれば、確かに化石化(一度間違って学んだことがそのまま残ってしまうこと)のような現象はたくさんありますが、でも実際はそれよりも治ることの方が多いんじゃないかと言う気がするんですよね。というか、たぶんその化石化を取り去ってくれるのが、師匠何じゃないかなと。だから、間違いを起こらない方法を起こらないことを教えること教育者の役割だと考えるより、間違いが起こること自体が学習の一過程であり、間違いの結果起きた化石化をうまく学習者自身が取り除く手助けができるのが教育者の役割であると考えている方が、たぶん師匠としては優れているんではないでしょうか。
まあ、でも、師匠がいないとそれができないかというと、それは場合によると思います。語学の場合であれば、本を使えばある程度自分の化石化を乗り越えていけると思うのですが、じゃあなぜそれができないかというとやはりどこかで自分の学び方というのを限ってしまうからではないでしょうか。
2010-01-11 11:33:11|
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クールパイン (Feelコミックス)著者:南 Q太
販売元:祥伝社
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南Q太のクールパインを買ったのですが、なんかもうまったく話が理解できません。おんめー、もうちょいはっきりしろよみたいな。こういう繊細な少女の心を描いたみたいな作品はまったく理解できないっすね。まあ、僕も世が世ならクマソとして日本武尊とかに退治されてる野蛮人ですからね、しょうがありません。そう言えば、この前も昔の友達のmixiの日記にいらんこと書いたんですけど、そしたら友達リストみたいなのから外されてました。よけーなこと書いてんじゃねーよ。でも、言いたいこと言わないのも腹がふくれますからね。しょうがないっす。
ところで、最近はいよいよ修論大詰めなんですが、フランス人の先生にフランス語直してもらおうと思ったら、まったく返事が来なくなりました。出してから直せばいいってことですかね?よくわからんです。本当は前もってきちんと書いておいて、時間的な余裕を持って出せばいいんでしょうけど、なかなかそうも行きません。それはそれでしょうがないかなと。
ところで、話変わるんですけど、この英語高速メソッドという本はなかなか面白そうです。何が面白いかというと、高速メソッドじゃなくて、どうやって自分がいいたいことを形に落とし込んでいくかを説明していることです。英語に限らず、外国語を話すときはそうだと思うんですが、個々の単語や文法というボトムアップ的な要素と、そもそも言いたいことをどうトラエルかというトップダウン的な要素が大切になってくるんですけど、大体の本はボトムアップ的な要素しか説明していません。でも、この本はある程度そこを説明しています。それが面白いなと思ったんですよね。
修論が終わったら、次は会話の本を作りたいと思ってたんで、ちょっと本を買って研究してみようと思います。
英会話高速メソッド (CD2枚つき)著者:笠原 禎一
販売元:宝島社
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2010-01-10 00:36:28|
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バクマン。 6 (ジャンプコミックス)著者:大場 つぐみ
販売元:集英社
発売日:2010/01/04
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昨日書いたバクマンなんですけど、あの後読み返してみたら、人気が落ちて苦し紛れにファンレターの内容取り入れて、編集者の人に怒られるというシーンがありました。まあ、やっぱり、読者の声だけを熱めすぎてもしょうがないということですね。もちろん市場を調査するのは大切だけど、それを踏まえた上で新しい者を作り出すというのが大切になるんでしょうね。「じゃあ、どうすればいいんだ?」というと、よくわからんのですが。
ところで、日本代表の
イエメン戦がすごいことになってます。テロを警戒しながら戦うというのも、なかなかすごい話です。無事に済むといいのですが。しかし、これはオシムの負の遺産だと思うのですが、みんな結構何も言わないんですね。アジアカップの予選はいってるせいで、まともな国との試合ほぼ組めなくなったのに。僕はオシムはいい監督だと思うんですが、でも、正直言って、岡ちゃんがオシムと比べて全ての面で劣っているように言われるのはいまいちよくわかんないです。
確かにオシムの方がいいサッカーをするという面では上だったと思いますけど、岡ちゃんのチームとオシムのチームどっちが強いのって言われたら、必ずしもオシムとは言い切れないと思うんですけどね。昔名波もオシム時代の千葉について、「いいサッカーするけど、勝ちきれるチームじゃない」みたいなこといってましたし。オシムはいいチームを作る監督であって、別に勝てるチームを作る監督ではないような気が。
なので、「オシムだったら、ワールドカップでも勝てるチームを作れた」とかいってるのを聞くと、ヒディングと勘違いしてないかと言うつっこみがあふれてきます。まあ、しかし、なんでもいいから、とにかく今度は魂に響くような戦いをして欲しいものです。そこらへんは、アイルランドを愛する岡ちゃんに任せれば大丈夫でしょうが。
2010-01-05 09:27:07|
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バクマン。 6 (ジャンプコミックス)著者:大場 つぐみ
販売元:集英社
発売日:2010/01/04
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バクマン6買いました。いや、面白いですね。ていうか、熱い。マンガの好き嫌いはともかく、訳のわからない情熱が渦巻いていることは否定できないでしょう。まあ、しかし、実際の所はよくわかりませんが、こういうある少数のグループが新しい流れを作っていくというのは、ケルアック、ギンズバーグ、バロウズを中心としたビートジェネレーションが新しい文学の流れを作り出したのを彷彿とさせて楽しいです。恋に落ちたシェークスピアもそうですけど、何かを作り出していくという物語には生のエネルギーが満ちているような気がします。
恋に落ちたシェークスピア/Shakespeare In Love - Soundtrack 販売元:HMVジャパン
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個人的に思うんですけど、やっぱり新しいものを作り出して行くには、なによりも熱気が必要だと思うんですよね。もちろん、目的地を決めてそこに行くという方式の物作りが悪いわけではないけど、本当に新しいものを作り出そうとする際は、しばしば自分が何を探しているかわかんないという状況に陥ることが絶対あると思うんですよね。で、そういうITを探しているとしか言いようがない状況を打破していくためには、ギンズバーグが唱えたように”ニュービジョン”が必要になってくるのではないでしょうか。まあ、プロレスみたいにNWO(New World Order)と言ってもいいでしょうけど。
で、個人的には、これからの日本にはこのニュービジョンとそれを作り出していく熱気が必要になっていくと思います。バブル崩壊によるリストラの流れを受けて、ゼロ年代には効率化の流れが進み、その結果マーケティングが脚光を浴びるようになったわけですが、その結果ニッチを埋めるような商品というのは出てきても、新しい市場を作り出すことはなおざりにされてきたような気がします。もちろん、こうしたマーケティング主流の流れというのは、経済成長が終わり、作るだけでは物は売れないという時代にはふさわしいものだったのでしょうが、それが進んだ結果ニッチは埋め尽くされ、もはや価格を下げることしか手段が残っていないというのが現状なのかなという気がします。
そう言う意味では、ゼロ年代も終わった2010年からは、今まであったものを改良しつつニッチ市場を埋めていくというマーケティング主流の流れではなく、消費者自身も自身が欲していることがわからないためマーケティングでは出てこない新しい市場を切り開いていくような商品をビジョンを持った作り手が創造していくという時代になるのではないでしょうか。そんなことを考えると、バクマンのような作品がジャンプに連載されているのは興味深い限りです。
もちろん、この二人もただマンガを書くと言うわけではなく、ジャンプにあったマンガが何かというマーケティングの視点は持ち合わせているわけですが、それを踏まえた上で例えばバトル物を主流とするジャンプでは受け入れられにくいであろう探偵物に挑戦するなど、ジャンプのシステムをはみ出していくようなマンガを書いてジャンプそのものの売り上げを増やしてやるぜという野望があるわけです。
僕は本田宗一郎が好きで、たまに授業で「夢を力に」を配ったりしてるんですけど、でもさすがに旧来のシステムが力を失っていた戦後ならともかく、今の世の中で宗一郎的生き方をするのは、いくら物を作り出すことを目的としている人とはいえ、さすがに無理があるわけですよ。そう言う意味では、マーケティングをきちんと押さえた上で、それをぶっ壊すことを考えるバクマンは面白い本だなと思います。
でも、考えてみたらバクマンの登場人物は結構宗一郎的ではあります。新妻エイジはトップに立ったら嫌いなマンガを終わらせてくれる権利をよこせとか言いますし。でも、なんといっても真骨頂は福田神でしょう。「アンケートを無くせ」とか言う男気溢れた言動を繰り出しまくってますし。だてにアシにパンクスを雇ってません。
まあ、しかし、マンガというのは面白い世界ですね。僕も今教えてる子に漫画家めざしてる子がいるんで、そのうち一緒に仕事が出来たらいいなと。
本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)著者:本田 宗一郎
販売元:日本経済新聞社
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2010-01-04 10:30:08|
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Cosmopolitan [US] December 2009 (単号)販売元:Hearst
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2日ほど前に友達と会ったんですけど、その時その友達が六本木でその後アバターを見るからと言う理由で六本木で会いました。ところで、この友達誰かとアバター見るのかと思ったら、一人で見るって言ってきたから、じゃあ一緒に見れば良かったんじゃないかと思ったところ、「でも、井上君興味なさそうやん」って言われました。まあ、確かに別に興味ないですけど、でも誘われたら見ますよ。
まあ、一番見たいのは、今渋谷でやってるマラドーナの映画ですが。ヤベッチFC見た人ならご存じでしょうが、あれはすごい。何しろ、自分で「神の手」とかいう歌歌ってますし。「俺は、左手を使った。おー、マラドン、マラドン、マラドン…♪」って、それを自分で歌うかって感じですよ。あのセンスは日本人にはない。まあ、いいや。
話を元に戻すと、そうやって友達に会ったわけですよ。で、この友達はもともと上智の大学院のフランス語の授業で知り合ったんですけど、その時にフランス語の本を一緒にだそうだそうって話になって、でもそれ以来話が流れまくってたんですよね。で、それを前に進ませようってことで今回あったんですけど、僕はなんとなく散歩がしたい気分だったんで、東京タワーに行こうってことになって、で東京タワーまで本の話をしながら歩いて行って、で下までついたところでお茶でもしようかと思ったら、せっかく六本木来たんだからヒルズで茶が飲みたいと言われたんで、また歩いて帰ったわけですよ。
で、そうやって歩いてたら六本木ついて、交差点を渡ってヒルズに着くぞってところで、ABCの「洋書バーゲン中」って宣伝が目に入ったので、洋書を見に行こうって言われて店の中に張ったんですが、まあ探してもやっぱり英語の本しかないわけですよ。なので、「つまらんですたい」ってことになって、本屋を出ようとしたところ洋雑誌の棚が目にとまって、そこをぶらぶらしながらコスモポリタン読んでたら、その子が「洋雑誌って面白いよね」って言い始めて、で洋雑誌って英語の勉強にもいいよねって話から、最終的にはなぜか「英語の女性誌を読んで英語の勉強しよう」って言う本を書こうってことになってしまいました。フランス語の本の話してたのに。
でも、個人的にはこの本はいいと思うんですよね。まず、どうやって作ればいいかがわかりかたはっきり決まっているのがいいです。基本的には、たぶん単語編と文法編と大きな読み方編の二重構成になると思うんですよね。女性誌に出てくる単語というのもある程度偏りがあるので、そこでよく使われる単語を選び出すと共に、エルとかのネットサイトから記事を拾って作ったコーパスでその単語を検索して、いい感じの例文を選んで、そのままだと難しすぎるから、こっちで簡単に書き直すと。まあ、もちろんそれだけだと少ないから例文なしの単語帳があってもいいのかなと。で、文法編に関してはTOEICで出てくるような問題のうち主語と動詞を一致させる問題とか動詞の問題とかを選んで、でそのテーマに見合った例文をコーパスから拾い出して、で新たに作り直すと。これだけだとミクロな読み方だけなんで、マクロな読み方を身につけてもらうためにも、トピックに気をつけて読んでもらうみたいなテーマも設ければ、多分200ページくらい行くかなと。まあ、こんな感じで基本コンセプトがしっかりしてるで、結構うまくいきそうです。しかも、英語でうまくいったら、フランス語版も作れそうだし。
でも、こうやって本を読むってのはいいと思うんですよね。先日から延々と自発的学習の話をしてますが、そのために一番好いのはやはり本を読むことだと思いますし。もちろんこれだけと英語が聞けないってことになるわけですが、幸いなことに今はDVDの英語字幕があるので英語を読む力を英語を聞く力に変えることはそんなに難しくはないわけですよ。ただ、新聞満たない英語だと、話し言葉との間にかなりの乖離があるので、そう言う意味では女性誌を読むというのは、話すことに素直に移行する上でも、良い方法だとは思うんですよね。英語の達人と言われる人たちも、みんな読書は勧めてますし。
ただ、今まで問題だったのは、読む本が偏ってたことじゃないでしょうか?松本道弘さんなんかも何か知らないけど、タイムを異常に勧めてきますし。もちろん、タイムを読むのはいいことだと思うんですけど、でもみんながみんなタイムを読みたい訳じゃないと思うんですよね。僕なんかも昔松本さんに影響されてタイムを読んだことありましたけど、ちょうど2001年のテロが起きたばかりの頃だったので、あまりにアメリカよりの内容に辟易しましたし。
後、英語達人列伝を書いた斉藤さんは文学を読むことを勧めてますが、確かに文学読むのはいいと思うんですけど、まあそれだけが読みたいって人もいないと思うんですよね。そう言う意味では、勝間和代さんとか神田昌典さんなんかはビジネス書を英語で読む(というか聞く)というのでビジネスマン向け新しい勉強法を提唱しましたが、そういうのが女性向けにあっても好いのかなと。
松本道弘/速読の英語 販売元:HMVジャパン
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英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)著者:斎藤 兆史
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それに、なにより外国の女性誌は面白いですから。僕もたまに近くの図書館とかにあるエルとかをフランス語で読むんですけど、やっぱり日本の女性誌みたいに年齢がどうだとか婚活がどうだとかちまちましたこといわんのがいいですよ。10キロ太ろうみたいなわけわからん特集もありますし。まあ、そう言う意味では、コスモポリタンはやはりかなりの破壊力を誇りますね。12月号も、”一週間で学ぶ最高のセックス”みたいな特集が山盛りでしたし。でも、その1日目が”まずはオナニーから”というのはいかがなものか。別にそんなこと「今更いわれなくてもみんなやってるよ、こら!」って感じでしょう。それとも、やはりピューリタン国家アメリカでは違うのでしょうか。そこら辺は、女性のオナニー率が9割を超える(アンアン調べ)という極東の未開の蛮族である私たちには計り知れないところがあります。まあ、何はともあれ、女性誌の企画は面白そうです。ケルアックを終わらしたら、次に取りかかろうと思います。
でも、ほんと、人生何がどこから出てくるかわからないものです。やっぱりこう思いもしなかった所から何かが出てくるというのはよくあることですし、目的志向という発想からは産まれてこないものもあると思うんですよね。ニール=キャサディーが何を探してるんだといわれて、「ITだよ、こら!!!」と答えるシーンがありますが、やはりそうやって探している最中でも何を探しているかわからないこともあるのでしょう。日本でも、高村光太郎が「僕の前に道はない」と言ってますし。ゼロ年代も終わったことですし、これからはそうしたビジョンクエストの旅が盛んになってくるのではと思う今日の午後でした、マル。
後、全然関係ないんですが、久しぶりに見つけたS Club 7のDon't stop movingを聞いたら結構楽しくなってきました。なんかいいですね。ちなみに、下のはdon't stop movingのPVなのですが、個人的にはこれよりはもっとテンポの速いバージョンの方が好きです。
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Don’t Stop Moving (In the Style of S Club 7) 販売元: iTunes Store(Japan)
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2010-01-01 10:35:56|
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そう言えば、昨日の日記でいきなり何の説明もなく書いてましたけど、偶発的な学習ってのは何かを学ぼうとして学ぶのではなく、たまたま偶然なにかを身につけることです。よく無意識での学習って言われるのに近いんですが、無意識で何かを身につけるっていうと、それを学ぼうとする意識がないと言う意味での無意識なのか、それを身につけるときに意識せず学んでるのかはっきりしないので、学ぼうとする意思はないけど何かをしているうちにたまたま「気づき」が起きて学んだと言うときは、偶発的な学習という言葉を使います。
で、その反対が、何かを学ぼうと思って学ぶ”意図的な学習”です。ここでいう意図的って言うのはあくまで、学ぼうと思う意思があるって意味で、別に学ぶこと自体を意識するって言う意味ではありません。何となれば、この区別では、学ぶことに気づきが必要だというのは両者に共通しているので。
で、そう言う視点に立って考えてみると、結局明治以来日本って言うのは恐らく偶発的な学習を近代以前のものとして切り捨ててきた結果、本来は近代で導入したはずの意図的な学習が日本の古典的な学習として見られるようになってしまい、その結果偶発的な学習をするプロセスが失われてしまったんじゃないかというのが最近言ってきたことです。
で、これで恐ろしいのは、意図的な学習が進み偶発的な学習が失われてしまった結果、本来は偶発的な学習をしていた世代の人まであたかも意図的な学習をしていたかのようにみられることです。例えばですね、下の「海外経験ゼロ、それでもTOEIC900点」という本には夏目漱石のことが書いてあるんですけど、この作者の人は夏目漱石を国産英語学習者の代表だと捉えていて、音読のような方法論で英語を身につけたって書いてるんですよね。でも、
こことか見ればわかるように、夏目漱石は高校レベルで英語を勉強するときは、英語で全ての授業をする塾に行ってそこで習ってるから、音読もしてない訳じゃないでしょうけど、どっちかっていうとこの本で敵視されてる帰国子女的な勉強をしてるはずなんですよね。でも、この人はそういう事情を無視して、日本にいたからと言う理由で自分と同じような勉強法をしているだろうと言う風に決めてかかっています。
まあ、といってもそれはこの人だけじゃなくて、例えばフランス語の方なんかでも、中江兆民とかの例を挙げて、そんな浮ついた会話だけ勉強するんじゃなくて、きちんとした文章を読むことから始めろみたいなことを言っている人を読んだことありますが、でも鹿島茂さんがドーダの近代史で書いてるとおり、中江兆民はもともとネイティブに会話を習うとこから始めてるんですよね。まあ、でも、そりゃそうです。当時フランス語を習うための方法論なんて確立されてないんだから、外国人に習うしかありませんし。
だから、そう言う意味では、僕らが思っている昔の人の行動と、実際に彼らが取った行動にはかなり差がある可能性があると思うんですけど、でも僕らの頭が凝り固まりすぎてて、それに気づかない可能性があるんですよね。考えると、恐ろしい話です。うむ。
海外経験ゼロ。それでもTOEIC900点―新TOEICテスト対応著者:宮下 裕介
販売元:扶桑社
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ドーダの近代史著者:鹿島 茂
販売元:朝日新聞社
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2009-12-31 00:23:17|
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ストリートサッカー - ブラジル・イン・ザ・ストリート [DVD]販売元:オフサイドジャパン
発売日:2006/10/06
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この前のエントリーに書いたストリートサッカーの動画がyou tubeにのってるのを見つけました。street soccer brasilで出てくるので、興味がある人は探してください。でも、こうしてみてると、だんだん自由に見えてもある程度パターンがあるのがわかってきます。まあ、だから、そう言う意味では見ているうちに少しずつ身に付いてくるものはあるのかなと。
でも、このビデオ見てて思うんですけど、多分日本の社会っていうのはこういう対面で技術を習得するプロセスって言うのを、近代化する過程でどこかに置き去りにしてきてしまったんじゃないのかなって思います。よく不立文字(ふりゅうもんじ)って言いますけど、恐らく昔は口で教えても、型を何度やっても身に付かない技術があって、それはある程度のプロセスを経てから一対一で教えてもらうことにしか習得不可能だっていう共通理解があったような気がするんですよね。
でも、それだけだと一子相伝みたいな形にならざるを得ないのでよくないってことで、明治で学制を導入するときに型やシステムを導入することで「だれでもどこでもどんなときでも」学べるシステムを作ろうとして、それは一定の成功を収めたんですけど、それが進みすぎて逆にもともとあった一対一で精緻な技術を学ぶというシステムがないがしろにされてるのかなと。
だって、昔のガチンコとかを見てもわかるけど、何でもいいから何かを学ぼうとしてる人に、「おまえらはまだこの技術を学ぶ準備が出来てないから、まだ俺は何も教えない。とりあえず黙ってやっとけ」って言ったら非難囂々でしょうからね。僕らはそれだけ、「何かを学ぶってことはそれを言語化して体系的に教えてもらうことだ」って考え方に慣れてしまってるんですよね。でも、それって本当にそうなんですかね?わたくし的には、そういうのとはまた違った学習というのが存在するし、そこでしか身に付かないものも存在するんじゃないかと思うんですね。
もちろん、これは体系的な学習というのを否定する訳じゃないですよ。昨日話したfocus on formに関しても、そういうとにかく英語に接してれば英語は身に付くっていう理論だけだと習得できない部分があるっていうところからスタートしているわけですし。体系的に学ぶことには体系的に学ぶことの利点があると思います。ブラジルの選手だって、クラブレベルではきちんと戦術を学ぶそうですし。
ただ、個人的には、体系的な練習をすることでは習得できない部分があるときに、さらに体系的な練習をすればそこが習得できるというのはちょっと違うんじゃないかと言う気がするんですよね。もしかしたら、一見効率的とは思えないようなことをするからこそ、身に付く部分というのがあるのではないでしょうか?
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後、全然関係ないんですが、今下の本のCDを聞いてるんですが、このCDは日本人のナレーターがいるんですけど、なぜか「練習1」みたいのはイタリア人のナレーターが読んでるんですよね。で、日本語はなせないのかしらないですが、レンシュウイチみたいにいかにも外国人って感じの読み方をするので、CD聞いててすごく気になります。日本人のナレーターいるんだから、その人に読んでもらえばいいと思うんですけどね。変なの。そういや、僕は昔「サッカーファンのためのイタリア語」という本でイタリア語の勉強を始めたんですが、最初に覚えた単語はクワトロ-クワトロ-ドゥーエ(4-4-2)でした。今思うに、わけわからん。
1からはじめるイタリア語練習著者:白崎 容子
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サッカーファンのためのイタリア語著者:堤 康徳,アルダ ナンニーニ
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2009-12-29 07:36:02|
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you tubeの画像はこっち。
http://frenchpodcast.cocolog-nifty.com/
「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れた新しい英語教育著者:和泉 伸一
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前から上の本を読もう読もうと思ってるんですけど、まだ読んでません。ていうか、まだ買ってすらない。とりあえず、後で本屋行って探してこよう。僕がフォーカス・オン・フォームの授業を取ったのは去年のことなんですけど、あれはわりかた強烈な体験でした。我が輩はもともと言語学畑出身ということもあり、言葉を学ぶこと=外部にある客観的な言語知識をインストールすることだと考えていたんですけど、あの授業を取って初めて外国語を学ぶことは自分の中にある体系を自分なりに作り上げていくことだってのが腑に落ちました。
養老孟司さんがどっかで「最近のやつらは外部に知識があってそれをインストールするのが勉強だと思ってる」みたいなこと言われてたと思うんですけど、昔はその文章読んでもいまいちよく意味がわからなかったんですよね。て言うのは、僕もその最近の奴らの一員である以上、外部にある知識をインストールする以外の学びのモデルというのを知らなかったから。
で、かならずしもそうじゃないって言うのの一端を見せてくれたのが、下にある「英語を学ぶ人・教える人のために」という本です。たぶんですが、この本は認知的な研究から見た第二言語習得について述べいて、すごく「気づき」ということを重要視しているんですよね。ちなみに、ここで言う気づきというのが何かというと、会話だったり本を読んだりするというコミュニケーションを通して、ある言語形式とそれが伝える意味に気づくと言うことです。
で、これを読んで初めて、養老孟司さんの話がやっと納得いったんですよね。昔ちょっと心理言語学とかをかじった経験もあって、わたくしは多分人間をパソコンのメタファーで理解してたんですけど、必ずしもそれが全ての場で成り立つ訳じゃないんですよね。ただ、だからといって勘違いして欲しくないのは、人間をパソコンにたとえるメタファーが意味がないというわけではありません。
実際この本でも、言葉使用は意味と形式にかかわる計算であり、形式面が自動化されていないとワーキングメモリーが足りなくなって言語使用がうまくいかなくなるという内容のことが書かれてますが、これなんかは人間をパソコンにたとえるメタファーそのものですし、実際の言語習得にしてもかならずしも全ての局面で気づきが必要なわけではなく、たぶんあるパラメーターが一つ決まればそれでパタパタパタと決まっていく側面も多いのではないでしょうか。ただ、こうしたモデルだけでは人が言葉を学ぶ仕組みを包括的に説明できる訳じゃないのではないかと思うわけです。
そんなことを思うようになってたところでfocus on formの授業を受けたので、それまで自分の中でグルグルしてたものが、きちんとした言葉になってすごく納得がいきました。まあ、だったら第二言語習得の研究すりゃいいじゃないかと我ながら思うんですけど、私はやっぱりラテン系が好きなんでいまいち英語がメインになるSLAはやりたくないんですよね。まあ、もちろんアメリカ行ってスペイン語のSLAとかカナダ行ってフランス語のSLAとかもできるんでしょうけど、でも結局生活の場は英語圏だし。もっとサッカーが好きな国で暮らしたい、そう思ってロマンス語をやることにしました。トッピンパラリのプウ。
英語を学ぶ人・教える人のために―「話せる」のメカニズム著者:羽藤 由美
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ところで、こういうSLAとかの知識に対して「そんなアメリカ発の学問ダメだ。日本には独自のやり方がある」的なことを言う人を結構見かけますけど、これってほんとなんでしょうかね。昨日のエントリーとも関連しますけど、そういう人が日本独自のやり方っていうようなシステマチックに文法と訳読を学ぶシステムって、明治ぐらいに西洋の学校システムを取り入れたときに新しく作り上げたシステムじゃないのかなって気がするんですよね。だって、日本の伝統芸能の中で、そんな手取り足取り教えてくれるようなシステムないし。
個人的には、フォーカス・オン・フォームの前段階として出てきたクラッシェンの方法論なんかは、「習うんじゃなくて盗め」的な日本の方法論と近い気がします。福沢諭吉の本の中に出てくる適塾の記述にしても、文法を体系的に教わってその後訳読をするという訓練よりは、わかんなくてもとにかく他の塾生と一緒に輪読をしてその中から文法を身につけるという感じっぽいですし。
こういうところは調べてみると面白いかも知れません。ていうか調べよう。
2009-12-28 11:51:01|
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