さて、準1級に「あと半歩」というところまで来ていた私ですが、当時の勉強法はいわゆる「暗記」でした。しかもいわゆる「空暗記(頭の中だけで中国語を覚えこむ)」という受験勉強さながらのやり方でした。
今となっては、どういう順序で教えを受けたのか曖昧ですが、師匠からは以下のようなことを繰り返し言われました。
(1)語学は受験勉強ではない。
(2)会話力を上げるのに、ネイティブと会話する必要はない
(3)リスニング力強化のために、音声を聴く必要はない
(4)会話力・リスニング力を含め、総合的な語学力をつけるには「読書」が一番
どれも当時の私には、衝撃的な言葉でした。ネイティブと会話しなくて、どうやったら会話力が上がるというの?音声を聞かずに、リスニングを上げるってどういうこと?しかも「読書」が一番ってあり得ない。日本人は、一般的には閲読や作文分野が一番得意で、オーラルコミュニケーションが苦手なことにコンプレックスを持っているというのに…。
師匠が英語出身だったこともあり、「それは英語学習者特有の事情では??」と、最初の頃はアドバイスを受け付けることはほとんどありませんでした。それが劇的に変わったのは、師匠との間であるやり取りがあったときでした。
師匠:「ねえ、『お久しぶりです』って中国語で何て言うの?」
私:「??いくらファニー中国語の師匠でも、知らないわけないでしょ?『好久不見』。」
師匠:「『お久しぶり!』と日本人が言うタイミングで、中国人って『好久不見』って言うのかなあ?中国人同士で言ってるの、あんまり聞かないんだよね。ってことは、翻訳上はお互い対応させてる言葉かも知れないけれど、そこに込める気持ちや用法・背景って、本当は中国語と日本語で全然違うってことだよね?」
このときの衝撃は今でも忘れることができません。ファニー中国語を話す師匠のほうが、自分よりも中国人の心をがっちり掴める理由も、何となく分かった気がしました。私は、「中国語の衣をまとった日本語」を話していただけだったのです。自分の話が中国人に受けないからといっては、「スピードや発音に問題があるのかな?」と悩み、果ては「一生懸命こっちが話をしても、中国人は興味なさそうに聞いているだけだし。なんか態度が失礼なんだよね」と憤慨する始末。
「日本語にならない中国語、中国語にならない日本語」というのは、例えば「手前味噌」「ひな祭り」をどう中国語で説明するかといったような浅薄なものではありません。あるいは、部分的かつ表面的に「ネイティブは『請多関照』や『初次見面』をあまり使わない」といったことを知ることでもありません。なぜ中国語(日本語)では「その場面でそういう表現を使わない(使う)」のか。いや、もっというと「使えない(使える)」のか。そこには中国人(日本人)の思考・行動様式が色濃く反映されていると言えましょう。当時、ときの小泉首相が靖国神社に参拝する・しないで世間を騒がせていましたが、「心の問題」という説明に終始した首相の談話に、中国側が納得できず猛烈に反発していたのも(=反日デモや日中関係の冷え込みにつながったのも)、「心」という言葉は日中両国にあれど、その意味するところが大きく異なっていたことも原因の一つだったのではないかと思います(この構造は、先の大戦の謝罪問題ともオーバーラップしてきますが、ここでは割愛したいと思います)。
師匠について勉強法を改めるにあたり(あるいはほとんど話せないうちに留学したときに)幸いしたのは、第二外国語時代の先生(日本人&中国人)がしっかりと基礎発音に時間を割いて下さったこと・そして(受験英語の癖もあったと思いますが)構文や文法をしっかり分析した上で日本語と対照させる習慣がついていたことでした。もちろん、私の発音は現在でも「上手い」部類に入るわけではありませんし、文法力もたかが知れたものです。しかし、日本人にとって一番やっかいな部分について、あまり「お茶を濁さず」やってきたことは(全くの偶然だったのですが)大いに役立ちました。もし、こうした部分をフィーリング一辺倒でしかやってこなかったとしたら、あとからの矯正にさらに時間がかかっていたことでしょう。
2010-02-09 20:02:58|
私の中国語学習歴
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