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私いま、大連にいます!

大連で食い倒れ


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Michiyo
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【職業】フリーライター(海外在住)
6カ国在住経験をネタに海外コラムを執筆。【執筆歴】雑誌:TARZAN/からだにいいこと/ELLE a table/コミサポ☆★WEB:朝日ドットコム/エコマム/プラチナサライ/PURINA/他...
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ここがタイムリミットの拠点

仕事中にトイレに立つというのはタイミングがなかなか難しいものである。
しかし私はかつて感心するくらいトイレに立つのが上手い女性に会ったことがある。

シンガポールの某日系学習塾で仕事をしていた頃のことだ。
そこでは子供たちがその場で与えられた問題用紙を解き、出来上がったら先生のところに解答を持ってきて採点してもらう。
すべて100点になったら次の段階の問題用紙を与えられる。間違っていたら100点になるまで何度もやり直しさせられる…という、まさに「学びのスパイラル」のような場所だった。
まぁ学習塾なんて本来そういう場所なんだろうけど。

しかし、子供たちはそのスパイラルの中でよく頑張っていた。
先生と呼ばれるスタッフは7~8人いて、採点をしたり、理解不足の生徒に教えたり、生徒からの質問に答えたりする。
そんな中、子供達からの信頼の高いベテランの先生がいた。
その先生は生徒が質問にやってくると、その都度分かりやすい説明を与え、適度なプレッシャーをかけながら次々と問題に取り組ませた。
彼女のはきはきとした声は、近くに座る私の席までよく聞こえてきた。

ある時彼女は、生徒の一人にこう言った。
「…わかった?じゃぁね、今から先生トイレに行ってくるから、戻ってくるまでにこの問題やっとくのよ」

そう言い残してサッと席を立つ。
ビックリして顔をあげた私と眼が合うと、彼女はニヤリと笑って見せた。
普段はいささか落ち着きのないその生徒は、慌てて席に戻り問題を解き始めた。
与えられたタイムリミットは、その先生がトイレに行って帰ってくるまでだ。
いったいそれが何分なのか、誰にもわからない。
多分トイレに行く本人だって定かじゃないだろう。

私はそんなタイムリミットを与えられた人を今まで見たことがない。
自分のトイレにかかる時間をタイムリミットにした人も知らない。
しかし、これほど遠慮も照れもなくトイレに行くことを言い渡す彼女をスゴイと思った。

実はその先生は、年間を通して胃腸の調子が悪い人で、トイレに立つ回数も他の先生たちより多かった。
しかし彼女のトイレタイムが、子供にとっての「タイマー」になった瞬間から、彼女のトイレ行きは特別な意味を持つことになる…というのは大袈裟だけど、やっぱりスゴイ。
だって私には到底真似の出来ない芸当だもん。

2011-08-02 16:33:50| シンガポール・メモリーコメント(0)トラックバック(0)

「旅の恥はかき捨て」ってか…

2週間に一度という頻度で通う居酒屋がある。
中国人のご夫婦が経営する店で、焼き鳥の味が抜群に美味い。
特に鶏皮串に至っては絶品で、焼き加減の絶妙さと言ったらこの上ない。

いったいどうやってこんなに美味しい鶏皮を焼けるのかと、炭火の前で串を回すご主人の様子を見ていると、焼き方が実に細かく丁寧なのである。
よく返しつつ、先に焦げてしまう周りの部分は丁寧にハサミで切り落とす。
そんな作業を繰り返し皿に盛られた鶏皮串は、カリカリの歯ごたえの中にもコラーゲンのネットリ感が微妙に健在、鶏皮のいちばん美味しい風味を存分に引き出している。

それで一本がたったの3元(37円程度)というのだからたまらない。
ここでは主人と二人、お腹いっぱい食べて飲んでも300元ほどのお勘定で済む。
2週間に一度通っても懐(ふところ)がいたまないワケである。


この居酒屋は一階が15人ほど座れるカウンター席のみ。
いつ行ってもなかなかの盛況ぶりである。
しかし、どういうわけか日本人女性客の数がとても少ない。
というより、1年間通った間に見かけたのは3度ほどであろうか。
殆どは日本人のオジサン駐在員とシャオジェのカップル(シャオジェとは若いお姉さんの事をさす中国語だが、こういうシチュエーションにおいては「飲み屋のおねぇちゃん」あるいは「若い愛人」の意味を込めて使われる)で、そんな中に日本人女性である私が主人と共に座っていても、殆どのオジサン達は「日本語の上手なシャオジェ」と思いこんでいるようだ。
そしてそっちもシャオジェ連れなら、会話の内容に気を使う必要はないとばかりに、オジサン達は連れのシャオジェ相手に実にいやらしい事を言っている。

「日本の温泉に連れて行ってあげるよ」とか「肌にとってもいいクリームがあるんだよ。今度プレゼントするからね」なんて感じ。
時には「ウチの奥さんとはかれこれ2年間はヤッテないんだよ」「えーウッソー、キャハハハハ」なんて下品な笑い声が耳をつんざくこともある。

誰も声をひそめない。
そう、ここにいるオジサン達にとって隣りに座るシャオジェはステイタスだから、声をひそめる必要などないのである。


しかしやがてオジサン達は「私」と言う存在に疑念の目を向け始める。
“もしかしてあの女は日本語の上手いシャオジェじゃなくて“本物の日本人”なんじゃないか…”
そう、どんなに日本語の上手なシャオジェでも、日本語の長文を完璧な発音で話すことはまず無理だし、逆にうんと短い言葉「“タコわさ”お願いします」などの発音、或いは声色はどうしても日本人のそれとはどこかが違う。
そして、盗み聞きするまでもなく、ふと耳が捉えた「日本人の日本語」を確信した瞬間、オジサン達は「あ」と短い悲鳴をあげるがごとく、一斉に言葉少なになる。
オジサンの変化に気づいたシャオジェが「えぇっ日本人なの!?」と店中に響くような大声で叫んだこともある。
相手のオジサンはその後一切無言となり、シャオジェを連れてそそくさと店を出て行った。
「奥さんとは2年間ヤッテない」と吹聴していたオジサンだ。
彼も一応わかってはいるようだ。


そんなオジサンとシャオジェのカップルを観察するのは趣味ではないが、ここの居酒屋が安くて美味しいから通い続けている。
そしてそのたび、下品な誘い文句や、ゾッとするような甘い声でシャオジェを説教するオジサンたちと席を並べることとなる。
シャオジェにとって日本人のオジサン駐在員は「美味しいカモ」であろうが、オジサンの方にしてもやっぱりシャオジェは「手ごろなカモ」であることに違いない。
そんな「カモカモ・カップル」をしり目に私は鶏皮串を頬張る。

他のお客がはけた時を見計らい、店のママに「最低だよね、あのオジサン達」と暴言を吐いたことがある。
ママはしきりと困った顔をしていた。
まぁ私に同調することもできないのであろうが、それよりも根本的に視点が違うのかもしれない。
以前台湾人の知り合いが「日本人の男はみな愛人を作ります」と言っていたのを思い出した。
皆じゃないけど、もしそういう風に思われているのなら、そりゃママも何も言えないであろう。

2011-05-23 19:04:31| 霧に煙る大連コメント(6)トラックバック(0)

これ、空気って呼んでいいのかなぁ

最近の大連の空気の汚さと言ったらない。

私たちはまるで、山の頂上で「今、雲の中にいるんだよー」と言われているかと思うほど真っ白な空気の中で、日々過ごしている。
これが全て、排気ガスやら煙やら粉塵やらの集結なのだと思うと、恐ろしいことこの上ない。
こんな空気は出来ることなら吸いたくない。
呼吸のたびに“これ”が体内に取り込まれると思うとゾッとする。
空気を吸わずにいられる方法はないものか?なんてことを真剣に考えたのは、生まれて初めてである。

中国に住むようになってから、つくづく感じることは、「自分が口にするものは、全て血となり肉となる」と言うことであった。
それまでも「この油が脂肪になるんだわー」とか「ジャンクフードばっかり食べていちゃ健康に良くないよねー」程度の発想はあったが、それ以上具体的に考えることはなかった。
それが、この国に来て少し経つと、自分の身体や細胞が“この水”を“この食品”を、そして“この空気”を何の疑いもなく吸収し、「私の生」を継続させるべく仕事をしているのだ、と身にしみて感じるようになったのである。
そしたらなんだか腹が立ってきた。
私たちには選択肢が無い。
どんなに空気が汚くても、その空気を吸わないわけにはいかないんだぞ。

窓から外を見ていると“あぁ、魚になりたい”と思ってしまう。
水の中で生活したら、中国のこの“真っ白け”の空気を吸わずにすむじゃないか。
この汚れた空気を吸っているせいで、私は肺炎にかかりつつあるんだぞ。
去年はこの空気のせいで肺炎を患い、3ヶ月間咳が止まらなかったんだぞ。

というわけで現在「出不精によるデブ症」が激しく発症している私。
外出頻度は低くなったのに、時間があるからついつい食べちゃう。
更に悪いことに、何故だか甘いものが恋しいくて仕方が無い。

これは多分…うーん、冬眠が近いってことですよね。
栄養がいりますからね。

というわけで、穴の中にベッドとPCを持ちこんで、しばらくサヨナラです。
ムニャムニャムニャ…

2010-11-22 01:24:11| 霧に煙る大連コメント(0)トラックバック(0)

やっぱ鍋でしょ、冷えるねー

 この頃の大連は、日ごとに寒さが増している。
もうこのぐらいで止まってくれたら冬の気分も味わえて丁度いいんだけどな、という辺りまで既に来ているのだが、そうもいかないらしい。


「今年はマイナス30度になるんですって」

とロシア人の知り合いが言っていたが、私は信じない。
一体いまどき(少なくともこの辺りで)マイナス30度という気温が存在するなんて、誰が信じるだろう。その気温が意味する寒さのイメージさえ湧かない。


「あら、去年はマイナス15度まで下がったのよ。50年ぶりですって」

まぁマイナス15度なら無いこともないだろう。このくらいの気温なら、私の出身地の北海道でも、今なおよくある冬の気温ではないだろうか。(北海道で冬を過ごしたのはずい分前になるんだけど)


さらに彼女は「マイナス30度って、大連史上初なんですって」とさえ言う。

この話を聞いた時に、真っ先に頭に思い浮かんだことは「もし本当にマイナス30度なんて気温になったら、サクラ姫の散歩どうしよう」ということだった。



この頃のサクラ姫のエネルギーときたらスゴイ。散歩中の彼女は、水を得た魚どころか、水を得た上に肺呼吸までモノにした魚くらいに大はしゃぎで、私をブンブン振り回す。彼女はどうやら“寒いのが好き”らしいのだ。
果たしてマイナス30度という気温に対し、姫は「寒過ぎだっちゅーの」と言ってくれるか、「永遠持続のパワーだワン」となってしまうのか、私は今からとても不安である。


しかしそんなサクラ姫にも輪をかけて元気なのが、土地の御老体たちである。
どんなに寒い日でも、早朝からみんなで一緒に歩いたり体操したりしている。昨夜など気温が低い上に海風が吹きすさみ、寒いことこの上ない天候の中で、5人ほどのおばあさんが輪になって宙に手を掲げ、まるでそこに飛んでいる虫を掴もうとでもしているかのような体操をしていた。
或いは体操をしているかのように、虫を掴んでいた。
どっちなのか定かではない。


いずれにしても、マイナス30度は嫌ですね。ひきこもり度が悪化しそうです。

2010-10-25 15:29:38| 霧に煙る大連コメント(2)トラックバック(0)

鳩、多すぎじゃぁないですか


週末の中山公園で、夫とサクラ姫と3人でのんびりしていた。
芝生を囲む縁石にこしかけ、大量の鳩と必死でたわむれる人々を見ながら、秋の日差しを楽しんでいたところ、ふと目の前に薄汚い黒いコートを着た男が立ち止った。
中国語で何かぼそぼそ言っている。
何を言っているか理解できないが、予想は出来る。
男は浮浪者だった。

彼は私から50センチほどの距離に立ち、コートの中に隠していた腕を見せる。
ひじから下が無く、切り口が丸くなった腕。
それを見せながら、その浮浪者は金を要求していた。

いつからだろう…
私が“こういうもの”を見ても何も感じなくなってしまったのは。

ふと、そのことに思い当たったのはその日の夜だった。

以前の自分だったら、切断された腕の切り口を見ただけで怯えたはずだ。
義手もつけず、“その部分”を隠すこともなく、それを敢えて晒しながら金を要求されたりしたら、間違いなく怯えたはずだ。
でも、今回の私は自分でも後になって愕然とするくらい、何も感じなかった。

その理由は、わかっている。

この国に来て以来、もうそういうことに、慣れてしまったのだ。


なんだか嫌な気分だった。
そういうことに自分が慣れてしまった事実が、すごく不愉快だ。
でも仕方がない。
ここではそういうことに慣れないことには、一歩外に出ることすら難しくなるのだ。



中国での生活が長い知り合いが何人かいた。
誰もがこの国に10年近く住んでいると言っていたと思う。

彼女たちは、中国人が“痰を吐く”音に顔をしかめる私に向かい、「あの音にはすっかり慣れてしまい、もう耳にすら入ってこない」と、なぜか得意げに言ったものだ。

そんなことを自慢されても困るのだが。

確かに、あの音が聞こえるたびに不快感のあまり胃がキュッと縮む思いをするくらいなら、いっそのこと音そのものが聞こえなくなる方が楽には違いない。
だけどそんな風に感覚がひとつひとつ麻痺してしまうことは、あまり正常とは言えないのではないだろうか。


浮浪者の腕に何も感じなくなった自分に気づいた時、私は本当に愕然とした。
いっそのこと、目の前の光景に怯え、早くその場面を終わらせたくて、不本意ながらもお金を渡し、あとで腑に落ちない思いにストラグルする方がよほど“人として”マシだったのではないだろうか。



まぁそんなことを言っていても仕方が無い。
こう言う時は気分転換のために、サクラ姫と昼寝をすることにしている。
楽しい夢が見れますように…

2010-10-11 12:07:33| 霧に煙る大連コメント(0)トラックバック(0)

そっ~と覗いてみてごらん…涙

この国で、蛇口から「ジャー」と出てくる水をそのまま飲む勇気のある外国人はあまりいない。
たいていはウォーターサーバーを購入し(あるいはすでに置いてあり)、飲用から料理用、人によっては歯磨き用に至るまで、口に直接入るすべての水をこれで補っている。
そして我が家でもこのウォーターサーバーは必需品で、飲用、料理用はもちろんのこと、更にはサクラ姫の飲用にと日々利用しており、4リットル入りのボトルの水をほぼ一週間で使い切る。

よって、中国に来て丸2年、相当量のウォータ―サーバーの水が、私たちの体内に入り、身体の隅々まで満たしたことになる。
 
私たちの身体を作る、大事な大事なウォーターサーバーの水。


そのウォーターサーバーのボトルの中に“なにかが浮いているを見つけた”のは、3日前の夜のことだった。


そのとき私は料理中で、ジャガイモを茹でるための水を「トクトクトク」と鍋にためているところだった。
ボトルの中の水が軽く波打っている様子が、青い半透明のプラスチック容器を通して見える。
そしてその水の動きに合わせ、テトラポットもゆらゆらと揺れていた。


……テトラポット?


どうしてここにテトラポットがあるんだっけ?


事態を良く把握できない頭のままで、ボトルの中を覗きこんだ。
水の残量はボトルの下5~6センチ程度。
そこに確かに“なにか”が浮かんでいる。揺れている。ぷーかぷーかと揺れて、いる。

次の瞬間「な、ななななな、なんだこりゃっ!!?」と叫びながら、水族館でエイの泳ぎを覗きこむ子供のように、ボトルにべったり顔をつけて“その物体”を確認しようとするものの、ボトルが「半透明」であるから見えにくいったらありゃしない。

数分後確認作業を終えた結果、その物体は、開封前のしょうゆやポン酢の容器についている、プラスチックのリングプルであることが判明した。
そのボトルにもプラスチックの蓋のようなものはついているが、それとは色も大きさも形状も明らかに違っている。


つまり、“それは外から入り込んだ”ということである。



回収した空のボトルは、次の水が注がれるまでの間、どういう状態で置かれているのだろう?
当然、私はそのことを考えた。そして、考えれば考えるほどすごーく嫌な気持ちになった。
だから深く考えないことにした。シャットアウト…


そんなわかで、よそのお宅でウォーターサーバーのボトルの中を、疑り深く凝視する私を見ても、どうか悪く思わないでください。
私には私なりの深ーい事情があるのです。

そして、皆さんも一度覗いて見ることをお薦めします。
ウォーターサーバーのボトルの中に、テトラポットが浮いているかもしれません。

いや、もしかしたら他のものかも…

2010-09-27 11:28:18| 霧に煙る大連コメント(2)トラックバック(0)

酔っ払っちゃうよ~


「干杯(ガンベイ)」。

 中国で仕事をするサラリーマンなら、誰もが経験する厳しい「酒席のつきあい」である。
 グラスに酒を注がれたら「干杯!」と掲げ、飲み干さなければならない。間違っても“飲み残し”や「いやぁー僕は水杯(みずさかずき)で、えへへ」なんて誤魔化しは通用しない。そんなことをしようものなら、次の日からチョット厳しい立場に置かれることとなる。もしかしたら椅子の上に画鋲を置かるかもしれない。(冗談です)でも、なんらかの形で「冷遇」に処されることはあり得ると思う。 


 「干杯」を拒否することは相手の面子を潰すことであり、中国人はこの「面子」を何よりも大切に考えている。そして大抵の場合「干杯」は上司や顧客、つまり面子を潰すことが許されない相手から強制されるもののようである。

 私の知り合いは、「干杯」の洗礼を受けて泥酔し、両脇を抱えられて自宅に戻ると、奥さんがドアを開けるなり、支えることも出来ないままに床に倒れたという。そんなことが数回あり、身の危険を感じた彼は、会社側に丁寧に抗議をした。その結果、彼の職場では「干杯」はされなくなったそうだが、そんなケースは稀である。彼の会社には懐の深い厚意的な人間がいたのだろう、幸運なことに。

 じゃぁその稀なケースに含まれない人たちは、どうしているのか?或いは、どうやって身を守っているのか。数人に聞いてみたところ、最終的には「ウコン」を信じるしかないとのこと。
 まったく、それ以外に一体何が出来るだろう。


 先日ディナーを共にした夫妻と「干杯」の話をしていたら、相手の奥さん(ロシア人)が

「日本人も干杯、するでしょう?」

と言うから、

「若い人たちはするけど、仕事上の関係で干杯はしないわね」

と答えたら

「ほんとぉぉ?」

と、すごーく疑り深い目で見られた。後になって気付いたが、多分彼女は「乾杯」と「干杯」は同じものと思ったのだろう。そんなことならもうチョットちゃんと説明すればよかった。


 それにしても、中国と日本って「ほとんど同じ国」と思っている西洋人は多いですね。「どうせ日本も中国と同じ程度でしょ、と思って行ったら、綺麗で丁寧でびっくりした!」と言っていたのはオランダ人。もうちょっと言葉に気をつけてね。

2010-09-17 16:08:17| 霧に煙る大連コメント(0)トラックバック(0)

んじゃ俺、寝るわ

ガスコンロに火がつかなくなった。ふた口のうちの最初が左側、二日後には右側も。

一体どうしたというのだろう。

つまみをひねると「シューー」と、ガスが出る音と匂いがする。しかし、着火装置が作動していない。

一体どういうことなのか。

海外においては「修理の人に来てもらう」ことは何よりも煩わしいことの一つである。それは、大抵の場合修理人は「第2言語」を持たないからである。つまり中国においては中国語のみ、ポルトガルにおいては当然ポルトガル語のみしか理解しないため、意思の疎通を図るのが困難なのである。

ふたつ目は、彼らは様々な事態を想定したうえでの準備をしてこない、ということだ。いつだって「布ある?」「入れ物ある?」「延長コードある?」など、こちら側に突然の要求を出してくる。うちには布だって入れ物だってあるけれど、修理途中の汚い水を入れる入れ物や、そのあと、雑巾意外に使い道のなくなる布など常備していない。

いや、“していなかった”のだが、今はしている。だって、本当に何度もこれらのものが必要になったから。マッチだって金槌だってカッターナイフだって差し出した。どうしてその程度のものが彼らのツールバッグに入っていないのかが不思議だが、言ったところで仕方がない。後にはむなしい風が吹くだけである。世界の国は、日本人が思っているよりもずっとずーっとルーズでアバウトなのである。
 
そして、彼らは「修理をすることだけが目的」なので、決して後片付けをしていかない。これが三つ目。細かな電気の線から、何かのかけらから、小さなネジから、金屑まで、すべてを散らしたまま「あばよ」って感じで疾風の如く立ち去る。

さらに言うなら、これは“この国”において特筆すべきことなのであるが、彼らが靴を脱いで室内を歩いた後は、床が「ちょっとたまらない感じ」になる。跡がべったり残るくらい汗で濡れていたり、靴下が「異常」に汚れていたりするものだから、彼らが帰ったすぐ後に、モップがけをするまでは、スリッパでその上を歩くことさえ憚られる。(あくまでも私の場合は、ということですが)


そんなわけで、火のつかないガスコンロを前に、私は深く深くへこんでいた。


やっと、主人がゴルフから帰ってきた。すでに部屋のオーナーを通して修理人の手配をしてくれたようだが、とりあえず自分もキッチンに入ると、ガスコンロの下の棚を開け、覗きこんだ。その数秒後のことである。

「あっ!!」

彼の叫び声に、隣の部屋で現実逃避していた私は慌ててキッチンへ走った。すると夫の手の中に、なにやら「赤くて丸いモノ」がのっている。

「そ、それは…」

おびえた表情で“それ”を見ている私に夫は言った。

「乾電池だよ」

一体、誰がガスコンロの着火装置が乾電池で動いているなどと思うだろう。それとも「乾電池式着火装置」は、ガスコンロ的スタンダードの一つなのだろうか。わからない。でも、私は今まで、ただの一度も、“ガスコンロの下の棚を開けて、電池を交換したこと”なんてなかった。

念のため、そのまま修理人の到着を待った。
その修理人は、懸念していた上記3つの要素を持ち合わせた「修理人の中の修理人」であった。残念なことに。
そして、乾電池以外の原因を見つけることはなかったようである。


今、我が家のガスコンロは、つまみをまわすたびに「ぼっ」という音をたて、景気良く火を噴き出してくれる。「病気になってはじめて健康のありがたみを知る」というが、まさにこのことである。
そして、「納得いかないことは、みんな後ろに置き去りにしてしまえ」も然りだ。
まったく、教訓が増える国である。

2010-08-26 16:50:04| 霧に煙る大連コメント(4)トラックバック(0)

美味しそうなものか...

私の一日は、サクラ姫を散歩に連れていくことから始まる。

朝5時過ぎに起き、まだ半分寝ているサクラ姫にリードをつけると「まだ眠いよー」という顔で私を見上げる。
しかし5時前から「起きろ、はよ起きろ」とベッドの上で騒ぎだすのはサクラ姫本人。
それを、出掛ける準備を始めた時から2度寝体制に入り「まだ眠いよー」と言われても、私も迷惑である。
私だってまだ眠いのだ。

しかしまぁ、そんな風にしていつもと同じ朝が始まる。

今朝の私はデジカメを携えていた。
街の風景を撮影するためである。
早朝の街は、昼間とは違う顔を見せてくれるし、何より人が少ない分撮影しやすい。

地下街に続く階段、駅前の様子、おかしな日本語の看板、あれやこれや…
時々サクラ姫のことも写しながら、のんびりと散歩を続ける。

40分ほどブラブラしたところで、帰途につくことにする。
帰り道の途中にも撮影したい場所がある。
そんなことをしながら帰れば、およそ一時間の散歩になる、ちょうどいい。

撮影したかったのは「早朝の天津街」。
昼間は出店がずらりと並んだ、お祭りのようなこの通りも、早朝のこの時間ではさすがに店は畳まれ人もいない。
しかしよく見ると、昨日売れ残った食べ物がそのままの状態で残されていたりする。
冷えた鉄板の上の焼き菓子、冷えたタコ焼き機の中のタコ焼き、冷えた油にまみれたザリガニ…
はて、いったい“これら”をどうするつもりなのか。

そんなことを頭の片隅で考えながらデジカメを向けひたすら写す。
夜遅くまで賑わう天津街は私のお気に入りの場所の一つ。
自分がここで何か買ったり食べたりすることは無さそうだが、旅行者にとっては有名な観光地の一つである。
賑やかであればある程嬉しいのではないだろうか。

そんなことを思いつつザリガニを撮っていたら、後ろから誰かに声をかけられた。
どうせまた「この犬、メス?オス?」とか「この犬の種類なに?」と聞いているのだろうとウンザリしながら振り向くと、小さくて丸いオジサンが、“なぜか照れ笑いをしながら”私に何か言っている。

中国語がわからない、と答えると、そのおじさんは僅かに考えた後で、私が手にするデジカメを指さし、次に自分を指さした。

デジカメを指し、自分を指し、そして照れ笑い…
デジカメ、自分、照れ笑い…
“これ”で“おれ”を撮って、えへへ…

なんのこっちゃ。
なんだって、屋台の残り物を撮影している私に、自分の写真を撮ってくれ、なんて言うのだろう。
「おれも残り物なの」とでも言うつもりか。
まさかね。多分。

そんな風にして撮った写真も面白そうだが、私はやっぱり断った。
オジサンはずっと「えへへ、えへへ」と笑っている。
出来た写真をあとでちょうだい、なんて言われたら面倒だし、最悪「撮影料10元払え」なんて言われないとも限らない。
まぁ、このオジサンはそういうことを言う人には見えなかったけど。
照れ笑いを続けるオジサンを残して、私はその場を立ち去った。
サクラ姫が不思議そうな顔をして何度も振り返っていた。

私はこの天津街によく写真を撮りに来るのだが、そのたび面白いモノを発見する。
何と言うか「いきわたってるなぁ」という感じである。
今朝の「えへへのオジサン」なんかもその典型だ。
もっとも、日本で「おれの写真撮って」なんて言おうものなら、警察に通報されちゃうのかもしれないな。
私だってサクラ姫が一緒でなければ、やっぱりちょっと嫌だったと思うし。

2010-08-19 16:04:07| 霧に煙る大連コメント(2)トラックバック(0)

オムツオムツ...

週末、「IKEA」に出掛けて驚いた。

あの広い店内にディスプレイされている、椅子という椅子、ソファというソファがすべて「使用中」ではないか。
つまり、誰かが座っているのである。
殆どの人は座り心地を試しているというよりは、「椅子があるから、じゃぁ座ろう」的な理由のみで座っているように見えた。
ソファに並んで座り延々と世間話をしている女性。
持参の雑誌を読みふける人。
居眠りしてる人。
意識が遠のいている人。
誰もが「だって椅子って座るものでしょ」って言っているように見えた。

ベビーベッドも然りである。
ここは完全に100%使用中。
どのベッドを覗いても、赤ん坊が真剣に眠っていた。
両サイドには両親が腰かけて、赤ん坊の上に掛けられた布団を軽くポンポンとたたきつつ、さらなる眠りにいざなおうとしている。
別の母親がベッドの空き状況を確認し、小さく「あぁ」とため息をついた。
彼女の赤ん坊が“寝るべき”ベッドの空きが無かったからである。

別のベッドの上では、子供のおむつ替えをしている最中だった。
反対側のソファでもおむつ替えの真っ最中であった。
おいおい参ったな…。

大人用のベッドでは女性が「昼寝」をしていた。
週末のIKEAはとても混んでいるのに、そんな中でよく眠れるものだと感心してしまった。
しかし実際には、他人のことを気にして見る人など誰もいない。
そんなことは特に変わったことでも、おかしなことでもないようだった。
時折りメジャーを使って家具のサイズをチェックしている人を見かけると、逆に不自然に見えたくらいだ。

わざわざ買わなくても、IKEAで使えばいいのに。

なんて意識が根づいてしまうと大変だ。
私は必要なものをトローリーに放り込むと早々にレジに並び、店を出た。

今までいろんな国で「IKEA」を見てきたけど、これほど「自分ち化」されたIKEAは未だかつて見たことが無い。
呆れつつも「いいものを見た」と思えるのは、やはり他所の国のことだからであろう。


しかしいずれにしても、週末のIKEAでソファを真剣に見ることは不可能です。
もちろんベビーベッドも然りですね。はい。

2010-08-02 02:47:26| 霧に煙る大連コメント(2)トラックバック(0)

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