2週間に一度という頻度で通う居酒屋がある。
中国人のご夫婦が経営する店で、焼き鳥の味が抜群に美味い。
特に鶏皮串に至っては絶品で、焼き加減の絶妙さと言ったらこの上ない。
いったいどうやってこんなに美味しい鶏皮を焼けるのかと、炭火の前で串を回すご主人の様子を見ていると、焼き方が実に細かく丁寧なのである。
よく返しつつ、先に焦げてしまう周りの部分は丁寧にハサミで切り落とす。
そんな作業を繰り返し皿に盛られた鶏皮串は、カリカリの歯ごたえの中にもコラーゲンのネットリ感が微妙に健在、鶏皮のいちばん美味しい風味を存分に引き出している。
それで一本がたったの3元(37円程度)というのだからたまらない。
ここでは主人と二人、お腹いっぱい食べて飲んでも300元ほどのお勘定で済む。
2週間に一度通っても懐(ふところ)がいたまないワケである。
この居酒屋は一階が15人ほど座れるカウンター席のみ。
いつ行ってもなかなかの盛況ぶりである。
しかし、どういうわけか日本人女性客の数がとても少ない。
というより、1年間通った間に見かけたのは3度ほどであろうか。
殆どは日本人のオジサン駐在員とシャオジェのカップル(シャオジェとは若いお姉さんの事をさす中国語だが、こういうシチュエーションにおいては「飲み屋のおねぇちゃん」あるいは「若い愛人」の意味を込めて使われる)で、そんな中に日本人女性である私が主人と共に座っていても、殆どのオジサン達は「日本語の上手なシャオジェ」と思いこんでいるようだ。
そしてそっちもシャオジェ連れなら、会話の内容に気を使う必要はないとばかりに、オジサン達は連れのシャオジェ相手に実にいやらしい事を言っている。
「日本の温泉に連れて行ってあげるよ」とか「肌にとってもいいクリームがあるんだよ。今度プレゼントするからね」なんて感じ。
時には「ウチの奥さんとはかれこれ2年間はヤッテないんだよ」「えーウッソー、キャハハハハ」なんて下品な笑い声が耳をつんざくこともある。
誰も声をひそめない。
そう、ここにいるオジサン達にとって隣りに座るシャオジェはステイタスだから、声をひそめる必要などないのである。
しかしやがてオジサン達は「私」と言う存在に疑念の目を向け始める。
“もしかしてあの女は日本語の上手いシャオジェじゃなくて“本物の日本人”なんじゃないか…”
そう、どんなに日本語の上手なシャオジェでも、日本語の長文を完璧な発音で話すことはまず無理だし、逆にうんと短い言葉「“タコわさ”お願いします」などの発音、或いは声色はどうしても日本人のそれとはどこかが違う。
そして、盗み聞きするまでもなく、ふと耳が捉えた「日本人の日本語」を確信した瞬間、オジサン達は「あ」と短い悲鳴をあげるがごとく、一斉に言葉少なになる。
オジサンの変化に気づいたシャオジェが「えぇっ日本人なの!?」と店中に響くような大声で叫んだこともある。
相手のオジサンはその後一切無言となり、シャオジェを連れてそそくさと店を出て行った。
「奥さんとは2年間ヤッテない」と吹聴していたオジサンだ。
彼も一応わかってはいるようだ。
そんなオジサンとシャオジェのカップルを観察するのは趣味ではないが、ここの居酒屋が安くて美味しいから通い続けている。
そしてそのたび、下品な誘い文句や、ゾッとするような甘い声でシャオジェを説教するオジサンたちと席を並べることとなる。
シャオジェにとって日本人のオジサン駐在員は「美味しいカモ」であろうが、オジサンの方にしてもやっぱりシャオジェは「手ごろなカモ」であることに違いない。
そんな「カモカモ・カップル」をしり目に私は鶏皮串を頬張る。
他のお客がはけた時を見計らい、店のママに「最低だよね、あのオジサン達」と暴言を吐いたことがある。
ママはしきりと困った顔をしていた。
まぁ私に同調することもできないのであろうが、それよりも根本的に視点が違うのかもしれない。
以前台湾人の知り合いが「日本人の男はみな愛人を作ります」と言っていたのを思い出した。
皆じゃないけど、もしそういう風に思われているのなら、そりゃママも何も言えないであろう。