金曜日の夜、久しぶりに娘と大戸屋で食事をした。
当然2人はメニューを見ながら日本語で話し、わたしが(「お前ら大戸屋の店員だろう」とばかりに)日本語で注文したのだが、一目で○○中学の学生とわかるジャージ上下を着た女子学生と、どこからどう見ても日本人という容貌の中年男性のペアだから、店員は当然娘の方に中国語で話しかけることとなった。
何やらご飯の炊き方に失敗したとかで、最初に出すご飯は通常より柔らかくなってしまっているので、気に入らなかったら麺と交換しますとか、おわびとしてカルピス1杯を無料で提供し、さらに会計は通常料金の2割引としますとか、店員は一通り中国語で話した後、そういう事情をわたしにも説明しておいてくれと娘に頼んでいた。
*わたしも、この程度の中国語の説明は娘に通訳などしてもらわなくても理解できるのだが、娘の前なのでわからないふりをして、いつものように娘に日本語で説明させた。
食事が終わって、そろそろ会計を済ませようかという時になり、娘が思い出したように「そういえば、さっき…」と話し出したのが、冒頭での店員との会話のこと。
その店員は、娘に対してわたしのことを“你的老師”と言っていたのである。
娘いわく、「“あなたの先生”って言われるの、初めてだね」とのことで、今までもなぜか父娘(おやこ)だと思われることが少なく、以前は“おにいさん”だったり、“おじさん”だったり、時には娘がわたしの“通訳”だと思われたこともあった。(→以前の日記:
【バイリンガル教育】父娘(おやこ)…パパも中国語ができることを子どもに教えずにおくと)
娘に「パパも顔は年取ってきたね」と言われたが、娘もまだまだわたしが一見して彼女の父親には見えないという点だけは認めており、今度は娘の“先生”というバリエーションが加わった。
*半分冗談で、「お前が子どもを産んで、その子とパパがいっしょにいたら、ちょうどお父さんが子どもを抱っこしているように見えるんじゃないか」と言ったら、娘も笑いながら「そうだね」と言っていた。
…さて、食事のあとは2人で青森にいるおばあちゃんとも電話で話した。友達と食事をし、これからカラオケに行くという母は珍しく町に出かけていたようだが、この時期の青森はこの写真よりはずっと雪が積もっているのではないかと思う。

(日本で仕事をしている教え子が、年末に[なぜか]青森へ旅行に行ったときに撮ったという青森駅前の写真)
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大戸屋へは最近手に入れた○○○○の Sport b. 風(フェイク)
レザージャケット/ブルーを着て行ったので、特に父親らしくなく見えたのだろうと思う。金曜日も朝からスタバの店員やら、美容院のお姉ちゃんやらに「それ、どこで買ったんですか? やっぱり日本で?」と聞かれるたのだが、台湾ではあちこちで注目されるお気に入りの一着!
2010-01-23 00:00:00|
家族・子育て
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…というか「子育て」の方法論に関しては正解というものはないし、当事者にしか分からない事情というものもあるはずだから、一概にこうしてはダメだ、ああするベキだなどと論じることは出来ないことは承知しているつもりである。
それでも、
例えば、子どもが楽しみにしている“卒業旅行”などをだしにして、直前になって「あれをやらなかったから/こうしなければ、お金を出さない/行かせない」などというやり方には、わたしは納得できない。
まあ、「お前に口を出す資格はない」と言われればそれまでなのだが、そうすることにどんな“効果”があるのかをよく考えていただきたいものである。
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(“逆効果”という効果もある)
2010-01-06 11:48:39|
家族・子育て
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この2年ほど日本に帰ることができずにいる○○のために、実家の“おばあちゃん”にお願いして、娘の好きな日本のお菓子を買って送ってもらうことにした。
○○からはいくつかリクエストがあり、昨夜それを国際電話で “おばあちゃん” に伝えたのだが、強調したのは 「
カタカナはカタカナ、ひらがなはひらがなと分けてきれいな字で書き、それを店の人に見せて、探してもらってくれ」 ということ。(*“おばあちゃん”は字が汚い上に、電話で「ぷっちょグミ」などと口頭で伝えているから心配)
ポテコ
シゲキックス (*各味1袋ずつ)
チョコボール (*季節限定の味)
コアラのマーチ (チョコ・イチゴ味以外)
じゃがりこ (*季節限定など変わった味)
ぷっちょグミ
*先ほど、無事任務を達成できたというので興奮気味の“おばあちゃん”から、戦利品について報告の電話があった。(お菓子売り場で小さい子供連れの若いお母さんに手伝ってもらいながら探したらしい)
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2009-11-06 19:32:04|
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ふと気がつけば既に14日…
明日は9月15日で、日本語能力試験1・2級申し込みの最終日ではないか!
先週の8日に新学期が始まってから、急に新入生のクラス担任になったりと学校の仕事が忙しく、自分の娘の試験のことをすっかり忘れてしまっていた。
今までの形式で1・2級を受験できるのは、今年の12月が最後になるはずで、来年の7月からは新形式での1級(*試験の内容の変更+難易度のアップが言われている)が始まるので、何とか今回で合格させてやりたいところだったのだが…
まあ、高校受験を来年に控えた“受験生”ということで、12月には学校や塾の方で試験などいろいろあるらしいから、高校生になったらまた新たに(新)日本語能力試験1級(改めN1)を受けさせることとしよう。
【以前の日記から】
娘の日本語能力試験2級
父娘の1級受験
*月刊ピチレモンの占いが最近当たっているらしく(本人談)、「新しいの(10月号)はまだでないの?」と聞かれたが、ラブだのマネーだのといった項目を見て当たった・当たらないと言っているのだろうから、勉強漬けの毎日とはいえ、それなりの学園生活も楽しんでいるようである。
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2009-09-14 19:39:24|
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- ピチレモン 2009年 09月号 [雑誌]

“受験生”といっても、9月に新学期が始まるまで娘はまだ中学校2年生なのだが、それでも今年の夏休みは月曜日から金曜日までは朝から夕方まで夏期講座で学校に通っている上に(日曜日に登校した日さえある)、土曜日の午後と日曜日の午前中も塾に通わせられているので、わたしと日本語で話したり遊んだりする時間もほとんどない。
それでも何とか楽しそうに毎日を過ごしてくれているようでホッとはしているのだが、いくら台湾だからとは言えちょっと可哀想だなと思っていたところに、ちょうど日本の“おビイちゃん”からまた OZOC の服が3着届いた。(9割引で買ったらしい)
今日はさらに「ピチレモン」の9月号も買ってやったのだが、今月号は付録が充実している上に「心理テストBOOK」という別冊もあって、娘には良い息抜きになるのではないかと思う。
あと、セブンイレブンとファミリーマートでも「アイスの実」など、普段あまり買ってもらえないという日本の(美味しい)アイスを買ってやった。
*勉強の合間にこっそり部屋で「どうぶつの森」もやっているそうで、安心、安心…
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2009-08-21 23:41:34|
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- 回帰線

7月からは本格的に“受験生”として(可哀想な)1年を過ごすことになる娘を、6月末の日・月曜日に台北へ小旅行に連れて行った。
娘には普段、日本の女子中学生向け雑誌『ピチレモン』を買ってやっているのだが、雑誌で見るような服を、せめて台北の若者向けの店で(安く)買ってやるというのが旅行の目的であった。
台北の女子中・高生向けの店となると、わたしには完全にお手上げなので、台北出身の卒業生でオシャレ度が高く、そっちの方面に明るそうな学生にお願いして、1日娘の買い物に付き合ってもらうことにした。
ただ、待ち合わせや移動中の時間はわたしもそばにいるわけなので、わたしが普段(流暢な)中国語で学生を叱っていることが娘に知られてしまわないように、件の学生には「わたしに話しかけるときは中国語厳禁!」と念押ししておいた。
そして、迎えた月曜日の朝、ホテルの部屋で待っていたわたしの携帯に「老師,我已經到了.我在○○等你~」と、いきなり元気な“中国語で”電話が入った。
「あいつ~、あれほど中国語厳禁だって言っておいたのに」と思いながら、娘の前でどう応対したらいいものか一瞬判断できず「うん」などど誤魔化していると、そばで聞いていた娘が電話を切ったわたしに「『駅に着いた』って言ってたよ。それさえ、日本語で言えないんだね。」と笑いながら一言。(ホテルの部屋の中は静かで学生の話し声は娘にも筒抜けだった)
「日本語を話すのは上手じゃないんだよ」(本当)と、その学生のことを娘に話しておいて正解だったようで、朝いきなりの中国語電話も娘に怪しまれることなく、学生と駅で合流することとなった。
あなたの夢に育まれて その夢奪ってくわけじゃない
…と尾崎豊が「坂の下に見えたあの街に」の中で歌ったのは、朝霞にある実家を10代で出て行くときのことだと言われている。
わたしも10代の終わりでこの曲を初めて聴き、その後、何度となくこの歌の歌詞に自分の故郷や、そこで同じように10代のわたしを見送ってくれた母親・父親のことを重ねたもので、今でもこの曲を聴くと胸の中に何か切ないものを感じる。
ただ、自分がこの年になり、あと数年で娘が当時の尾崎豊と同じ年齢に達するという“親父”になって初めてわかったのは、尾崎豊のこの曲はあくまでも10代の“子”の視点で歌われたものだということである。
「あなたの夢に育まれて その夢奪ってくわけじゃない」と彼が歌った気持ちはよく理解できるが、おそらく彼が“育まれていた”ものは、「寂しそうに見送りに立つ」“母親”の『愛』であって、『夢』ではなかったはずである。
さらに言うなら、その『愛』というのは、「ただ子どもがいて(=存在して)くれるだけで良い」という愛であり、「(親からの)子に対する夢や希望」といった条件付きのものなどではなく、したがって、決して子が“奪って(い)く”ものなどではありえないものだと思う。
…今回は、久しぶりに娘との旅行になったのだが、2日目は大半の時間を学生のガイド付きで過ごしたため、わたしはほぼ“除け者”状態だった。
娘たちがショッピングに勤しんでいる間も、わたしはコーヒーショップでiPodを聴きながらずっと待っていたし、移動中や食事中にわたしがそばにいる時も、娘はガイド役の学生との中国語でのおしゃべりに夢中で、傍で聴いているわたしが実は2人の会話を理解しているということを(まだ)知らずに、「お父さんは学校ではどんな先生か」「クラスにこんな男がいて…」などということ中国語で話す娘は、(当たり前なのだが)完全に1人の台湾人の“小姐”であり、娘が小さい頃に「こんな女の子になれば良いな」とわたしが思い描いていた成長ぶりとは確かに違う姿であった。
しかし、そんな娘をそばで見ながらわたしが感じたのは、まあ、いろいろあって思っていたようには行かなかった点が少なくない父娘関係だが、それでもやはり、娘は「そこにいてくれるだけで」、というより「存在していてくれるだけで」良いのだという思いであった。(パパとして選んでくれて、ありがとう!)
…そのうち、娘がわたしに対して「あなたの夢に育まれて その夢奪ってくわけじゃない」という思いを抱く日が来るだろうと思う。
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*娘のガイド役をしてくれた学生には本当に感謝しているのだが、“先生は娘の前で中国語がわからないふりをしている” ということを承知で、わたしの目の前で「先生(あなたのお父さん)は学校ではみんなに怖がられていて…」などど、よくも、まあ、あれだけ楽しそうに話してくれたものである。(娘が高校に受かったら、また台北へ小旅行に連れて行ってやろうかと思うが、また、わたしはスタバあたりで半日待っているだけになるであろう。)
2009-07-03 19:20:37|
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娘の14歳の誕生祝いに、(台南では珍しい)本格的な握り寿司の店でホタテやウニ(高かった)を食べさせた後、三越デパートへ行ってハーゲンダッツ!
右:娘が注文した“貓熊搖籃曲”(“パンダ”だから顔の部分は本来白いアイスなのだが、それをマンゴーシャーベットに換えたため、できそこないのタヌキのような顔になってしまった)
左:わたしが注文した“春夏進行曲”(ストロベリーチーズケーキが美味しかった)
…どちらも本来は260台湾元のところが、4月末まで220元となっていた。(*それでもバイトの小姐の時給2時間分ぐらいに相当するから、日本で買うのと比べたら相当高いということか。)
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今日も娘は本当に楽しそうで、14歳になってもパパと一緒に出かけたりすることをこれほど楽しんでくれるのだと思うと、わたしも自然と嬉しく/楽しくなった。
2009-04-05 23:42:12|
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- LOVE LETTER(DVD付)

「おまえ、先にパパに“ありがとう”って言えよ」と、まずお礼を言わせてから、一足早いクリスマスプレゼントを娘に贈った。(クリスマス当日もイブもわたしは仕事の忙しさがピークを迎えている頃で、ゆっくりプレゼントを渡している時間がない)
今年は実に豪華!
①パパから大塚愛の新アルバム(DVD付の方なのだが、ジャケ写は通常版の方が良い)
②日本の“おびいちゃん”から OZOC の冬物2着
③わたしの知人が「娘さんにどうぞ」と譲ってくれた(!)SONY のデジカメ Cyber Shot
値段だけ考えたら、③が②よりずっとずっと高くて、②も①よりずっと高いのだが、一気に3つも豪華なプレゼントをもらってしまった娘が、まずいちばん喜んでいたのはやはり“パパの選んだ”大塚愛のCDだった。
(パパも一緒に聴いているが、自分で買うのではなく、娘用に買ったものを聴く限りはこういうアーティストのCDもけっこう良いなと思えるものである…今回のアルバムは紙ジャケなのがまた良い)
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2008-12-21 13:16:35|
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昨日の日記(→
菩薩の先生)に、「父について初めて具体的な“数字”を言われた」と書いたが、実は父の“余命”を教えていただいたのである。
早速日本にいる母に電話をして、“菩薩の先生”に言われたことについていろいろ話したのだが、話の中で母が「お父さん(注:数年前からほぼ“植物人間”同様の状態)が苦しんでいるかと思うと…」ということを言い出した。
その時にわたしが思い出したのは、これも数年前に“菩薩の先生”に言われたことである。
「おまえの父親は本来なら既に“寿命”に達しているはずなんだ」
“菩薩の先生”は数年前(父がまだ“植物人間”のような状態にはなっていない時)このようなことを話してくださっていたのである。
そのときも、すぐ母に電話をしたのだが、その際に母に聞いたところによると、父は当時いちど“死んでいる”のである。
詳しいことは当事者の母に聞かないとわたしもわからないが、母の目の前で父は一度心臓も呼吸も止まってしまい、それが、その後“奇跡的に”生還したのだという。
…このことを“菩薩の先生”は「本来なら既に“寿命”に達している」と言っているのだと、昨日あらためて母もわたしも納得したのだが、それならば
なぜ?ということを考えずにはいられない。
こればかりは、いまや口が聞なくなった父に聞くしかないのだが、わたしはおそらく今の状態が母、そしてわたしにとって必要なもの(経験)なのだろうと考えている。
これ以上は“人智の理解”を超えた領域の話で、“菩薩の先生”ならその辺りをご存知なのかもしれないが、先生もわたしが知る必要のないこと・知ってはいけないことは教えてくれないから、母もわたしも「とにかく何か理由があるのだろう」と思いながらやっていこうということになった。
昨日こんなことを母と話しながら、以前の日記に書いたことを思い出したので、以下にそのまま再録しておこうと思う。【2007-10-13 の日記】
Getting into midlife, you think you have understood by now what your "life" is all about.
You have accepted the reality of not being able to have all the cakes out there and eat them too.
Therefore you settle for the contentment of getting one thing you want (but not necessarily what you NEED), be they about your career, social life, health, relationships or family.
Once you get what you thought you wanted, you soon start looking for what else there is to want for.
You consider youself lucky if you get that next thing that you want, and most of the time you find yourself not among the few lucky ones.
But you sitll get on with your life, with your resigned realization that life has its downs, as well as its ups.
You learn to be content with whatever ups you've had and try to learn to deal with all the downs, which you have learnt to live with by now.
When you think you've had it all figured out, you are suddenly brought to a fleeting realization of how it is NOT so after all.
Whatever happens to you in this life, you have chosen for it to happen for good reasons.
You just don't remember why nor do you understand now why it is what you NEED, but still it was you own choice.
There is no good or bad, since they are all what you NEED.
It is, of course, way beyond our worldly comprehension why in the world we ourselves have chosen those things to happen to us.
But then again, life is not about figuring out why.
We still don't know why, but we go ahead and get on with our life, only occasionaly reminding ourselves that it is for our growth and it is all our own agenda.
You have to learn to trust the blueprints you wrote before you came here.
And I am grateful that I get to be reminded of this from time to time, especially in the middle of the hustle and bustle of everyday life amid my share of downs (as well as ups) that my life has to offer.
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2008-11-25 15:05:13|
家族・子育て
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「田中"チエ"っていう芸能人知ってる?」
…と娘の○○に聞かれたのだが、残念ながらわたしはその名前を知らなかった。
調べてみると
田中千絵さんというのは、日本と台湾で活躍する女優さんで、最近主演した台湾映画の『海角七号』が好評で、日本では「アジア海洋映画祭イン幕張」でグランプリを受賞し、台湾では興行成績が6,000万台湾元を突破するヒット作品になっているそうである。
その田中千絵さんが、映画『海角七号』の宣伝のために娘の○○が通っている学校を訪れたらしく、その時に娘は田中千絵さんと日本語で話をする機会があり、「日本語上手ですね」と言われたのだそうだ。
他にも一緒に撮ってもらった写真が新聞に載ったと大はしゃぎなのだが、台湾では(当然)中国語名で通している娘は、日本語を褒められて「小さい頃から習っているんです」といつものように答えたらしい。
今度の日曜日にでも一緒に映画館に観に行くとしようか…
『海角七号』(魏徳聖監督)
1945年夏、日本が戦争に負けた時、1人の日本人教師が台湾から日本に帰還する船の上で、自分の教え子だった台湾人の少女に7通のラブレターを綴った。結局その手紙は出されることなく、約60年の時を越えて現在の台湾に届けられるという背景をもとに、ストーリーが紡ぎ出されていく。田中さんのほかに、歌手の中孝介さんが出演している。
(雑誌「な〜るほど・ザ・台湾」八月号より)
田中さんのブログ:
田中千絵 台湾・一人修行
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2008-09-21 21:26:25|
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