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片瀬貴文の記録

高齢者を元気にするプロジェクト「元気サロン」主宰 経験談 旅行記 サロン案内など掲載中


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1962年のパリだより【813】カタツムリを食べながら「シャブリ」に酔う

鶴見緑地

1962年3月5日(月)

鉄鍋のくぼみに納まり、ジュージューと音を立てながら出されたエスカルゴ(カタツムリ)1ダースは、しばらくニンニクの芳ばしい香りを周り中に発散させていたが、冷えるにしたがってやがて静かになり、味の深みが加わった。

しかし部長の話は、栓を抜かれたばかりの新鮮なワイングラスの「シャブリ」と共に、ますます熱を加えるばかりだ。


「シャブリ」はもともと地名だが、そのままワイン名となり、付近一帯に産する白ワインの「シャブリ」は、生ガキによくマッチするワインとして名高い。

ディジョンから100キロほどパリに向かって離れた、ブルゴーニュワイン産地の飛地として、ワインとしてはブルゴーニュの仲間に入っている。


一言で「シャブリ」と言っても、四階級に分けられ、その差は幅広いそうだ。

最上級として「シャブリ・グラン・クリュ」、次いで上級の「シャブリ・プルミエ・クリュ」、量的に大部分を占める「シャブリ」、そして僅かだが最下級の「プティ・シャブリ」。

総称としての「シャブリ」と、ここで使われている狭義の「シャブリ」とは混同しないよう、注意が必要だ。


われわれが日常で接する「シャブリ」は、ほとんど狭義の「シャブリ」と考えていい。

ところで、生ガキにマッチする「シャブリ」は、この狭義の「シャブリ」で、高級の「シャブリ」は繊細過ぎて、カキの荒々しい味に負けてしまうらしい。


「シャブリ」の病害虫に対する抵抗力や独特の風合いは、畑の地層によるところ大とされている。

その地層とは、中生代、ジュラ紀の、キンメリッジ階に属する白っぽい石灰質のもので、カキの化石を多く含んでいるという。

シャンパーニュ地方から、英仏海峡を渡ってイギリスにまで、広く分布しているらしい。


(この文章は、山本博「フランスワイン愉しいライバル物語(文春新書)」を参考にしました)


写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、
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(片瀬貴文)

2010-03-06 04:31:40| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【808】雨中のバーゼル街歩きそしてスパゲッティの味に恍惚


ダリア2
1962年3月3日(土)

バーゼルの駅を出てから、細かいが冷たい雨が、ずっと降り続いていた。

しかし街の様子やショーウィンドウの飾りつけなど次々に珍しく、自然に歩が進む。

自分でも不思議な心のときめきを覚え、実に楽しい。

見知らぬ街を歩く、一種のエクスタシーを感じている。


すっかり暗くなって気がつけば、雨に濡れながら3時間近くも歩いていた。

空腹を覚えて、チョッとした街角のイタリア料理店に入った。


パリではどのレストランも少し構えているような気配が見えて、日本のそば屋のように気楽に入れそうなレストランは少ない。

レストランを選ぶにしても、料理や値段を確かめ、中の様子にチラッと目をやりながら、何度も逡巡してようやく決めることが多い。

それに比べて、スイスの街では外から見ても家族的な様子がうかがわれるレストランが多いように感じる。

値段の安さと、料理の簡便さが、入店の足を軽くしていることもある。


今晩は一番簡単に、スパゲッティを一皿頼んだ。

パリでは、オードヴル、メインディッシュ、デザートなどと聞かれて、スパゲッティだけの、こんな簡単な注文は出来ないことである。

だいたいパリの人は、スパゲティを軽んじる風がある。

「イタリアの旅行者は、パリに着くや否やもうスパゲティを茹でている」なる悪口は、パリ好きな人から、耳が痛くなるほど聞いている。


だから、パリのレストランのスパゲッティが美味しかった試しがない。

フランスのシェフたちには、味が判っていないからだろう。

スパゲティは敏感な生き物で、皿に盛られてからもどんどん変化する。

味のピークは、ほんの一瞬なのだ。


しかしここバーゼルは国際都市だけあって、スパゲッティは抜群の味だった。

恐らく、本場の味に近いのだろう。

冷え切った体に、アツアツのスパゲッティの、なんと感動的だったことか!


そもそも日本では、スパゲッティはいったん茹でてから、油でいためるものと思っている。

だが茹で上げたものに、サッとオリーブオイルを絡ませただけで、十分においしい。

私の好きなのは、その時のオリーブオイルに真赤な鷹の爪とニンニクで味付けしたもので「ペペロンチーノ(唐辛子)」と呼ばれている。

最も軽い味付けだが、スパゲッティそのものの味が生きていて、実にうまい。

今度日本に帰ったら、広めたいと考えている。


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(片瀬貴文)

2010-02-17 02:53:21| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【805】ヨーロッパの中心ストラスブール

  ストラスブール


1962年3月3日(土)

ストラスブールの街は、イル河の大きな中州を中心に発達した。

この中州「グランディル(大きな島)」と呼ばれ、「旧市内」である。

その一郭に「プティト・フランス(小フランス)」なる、古い建築を遺した観光名所がある。


この街並みは、17世紀ごろのものだろう。

建物は木造だが、構造物を支える木製の構えが模様となって白壁に映え、ここ特有の温かい雰囲気を醸している。

縦横に運河が通じていて、水面に反映する景色がまた美しい。

この情景に浸るだけでも、ストラスブールにやって来た甲斐があると感じる。


「ストラスブール」の語源は「ストラス」(道)+「ブール」(集落)で、交通の要衝ということらしい。

ヨーロッパの中央に位置しており、河や道路を通じて、東西南北の人・物・情報・文化の流れに恵まれていた。

それだけ戦火を被る機会が多く、現在はフランス領だがドイツ領になったこともある。

フランスの作家、アルフォンス・ドーデの「最後の授業」は、普仏戦争に負けたフランスが、ストラスブールをドイツに渡すに当たっての最後のクラスの様子を描いているが、真に迫った描写は人の心を打つ。


現在もその恵まれた立地条件のため、EU議会が置かれている。


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(片瀬貴文)


2010-02-11 03:25:10| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【791】パリのメトロは混雑していてもユーモアがある



1962年2月17日(土)

田舎で一週間寒風に晒されていたためか、体調はきわめて良い。

これまでのパリ生活は、運動不足、刺激不足だったようだ。

お陰で、お腹が減り、毎日そうめん(ヴェルミッセル)250グラムの捕食が必要だ。


1962年2月18日(日)

午後、隣のジャンティーイ競技場周辺を散歩。

夜郵政省からの留学生、Aさんが訪ねてこられる。


1962年2月19日(月)

朝8時に出ると、メトロのラッシュがたいへんだ。

ただ東京に比べて、殺気立ち方が少ないように感じられるのが救いだ。

駅員も乗客にもどこかゆとりが感じられて、時にはユーモラスでさえある。


パリのメトロやバスの職員たちには、期せずして客を楽しませ、自分も楽しもうとする知恵が、垣間見られる。

客も駅員に対して、同調的であり、共感しあっている。

日本が見習うべきことだろう。


パリの西北50キロの現場で、半日過ごす。

夜「長崎の台風(日本語題名は分からない)」を見る。


1962年2月20日(火)

M事務所は、技術の売り込みに、あまり情熱を持っていないように感じる。

私が興味を持って知りたいことを尋ねても、十分に教えてくれない。

何しろ忙しそうで、ゆっくり相手をしてくれないのだ。

しかし技術的な議論以外はとても親切で、感謝している。

夕方、工場を見る。


フランスに来て半年余り、私のフランス語は、読書力は確かに向上した。

ヒヤリングも上達したが、スピーキングのレベルが依然として低い。

もっと、自ら進んで話すようにしなければと、反省する。


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2009-09-08 04:26:10| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【790】予定通り6月まで滞在出来そうだ



1962年2月16日(金)

今日から、M事務所に行く。

この事務所は、二つの点で注目していたので、楽しみだ。

その一つは、このような個性豊かな調査事務所が、フランス社会でどう活動しているかについて。

日本では新鮮なアイデアは、公共の場では採用されにくい。

もう一つは技術的な問題だが、土質調査における統計的手法の導入について。


帰途カルチエ・ラタンで、ソ連製の超大画面映画を見る。

アメリカのシネラマに対抗して、作られたものだろう。

しかし3台使われている映写機の、映像の継ぎ目が今一つの感じである。

内容も社会主義国の宣伝臭が強く、技術の劣っていることも加えて、逆効果の印象を受けた。


毎月の家計は、11月から黒字基調に転じている。

5月半ばまでに、何とか650ドル(234千円)まで貯蓄したい。

その実現は、3月から5月までに、フランス政府からの給費がいくら出るかにかかっている。

帰国費用と予備費を300ドル(108千円)と考えれば、残りの余裕は350ドル(126千円)。


旅行の経費を切りつめて一日7ドル(2、520円)にすれば、50日間の旅行が可能になる。

そうなれば、出発時の目標通り、ちょうど出国一年後の6月下旬の帰国となる。

この目論見の達成は決して楽ではないが、不可能でもない。

家からのさらなる送金は、あるに越したことはないが、なくてもやって行けそうだ。

アメリカまわりで帰るか、シベリア経由で帰れば、もっと経費はかかるが、今のところ直接飛行機で帰国しようと考えている。


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2009-08-31 10:22:06| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【789】ようやくパリに戻るがすっかり元気

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1962年2月14日(水)

パリでは、デモの取り締まりで、8人もの死者が出たそうだ。

昨日はその葬儀があり、抗議のサボタージュが広がった。

パリでは、国鉄にとどまらず、電力、ガスなどの公共サービス、さらには多くの民間工場に及んでいる。

パリに帰るのは、ダイヤが少し落ち着くだろう明日の午後にしたい。


陽だまりにタンポポが咲き、垣根にボケが盛りである。

ここの人は、ボケを○○ジャポネと呼び、日本からやってきた花と考えているらしい。


1962年2月15日(木)

駅まで行ったが人っ気がなく、文字通り空だった。

それでも予告通りの時間に、立派なディーゼルカーが一両やってきて、私一人を乗せてくれる。


途中パリ行きに乗り換えたが、客は一両に数人しかいない。

暗くなっても客車には電燈がつかないまま、無事パリに着いた。

途中検札がなく、今日は無料で乗せてくれるようだ。


久々のパリだが、しばらくの田舎生活で、すっかり元気になっている。

明日から新たに始まるパリ生活に向けて、元気溌剌たるものがある。


これまでのキンシャサ日記は、「ソフィーさんのマイページ」をご覧ください。
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2009-08-24 04:39:48| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【785】心洗うヴァンデーの週末

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1962年2月10日(土)

フランス、ヴァンデー地方の、ペイ・ド・ラ・ロワール州フォントネー・ル・コントに来ている。

この辺りでは、土曜日も働くようだ。

昨日以上の好天気。


一日グリモーさんの事務所の暖炉脇で、文献を読みながら過ごす。

事務所といっても、畑の中の納屋のような粗末な小屋にすぎない。

しかし住み心地は田舎情緒たっぷりで、バカンスに来たように感じる。


室内はグリモーさんと私の二人だけ。

グリモーさんも私も、黙って机に向かっている。

ただしグリモーさんには、時おり思い出したように、ひとりで冗談を言う癖がある。


そして、ひとりで笑っている。

「ドゴールとマーガリンの差は何だろう。ハハハ・・・」

といった具合だ。


この歯がすっかり抜け、歩くのも杖をつきながらヨボヨボのおじいさんが、戦争前のシトロエンを運転しながら、15キロ離れた自宅まで10分というから、驚く。

村の入り口のマリヤ様には、目をつむって十字を切りながら・・・。

計算すれば、平均時速90キロになるから、最高では100キロ以上出していることになる。


フランスの道路整備は行き届き、集落(制限速度60キロ)を離れれば制限速度はない。

時速100キロだって、法規上問題はなく、出せるはずだ。


ここの人たちは実直な感じで、自己抑制的に見える。

今朝、ベッドに置いておいた枕銭は、机上に返してあった。

この辺りで、こんな心遣いは要らないらしい。

自殺率は高いのではなかろうかと、勝手に推察するが、旅人にとっては素敵な人たちだ。


驚くのは、果物の質の悪さだ。

小さくて渋い青リンゴ、皮が真っ黒になったバナナなどなど・・・。

日本では、とっくに捨てられてしまうだろう。


こんな天気がいいと、旅心が勃々と湧く。

まだ見ぬオランダのチューリップ畑の中を、自転車で乗り回したい。

フランスの進んだ自転車を、日本に持ち帰れないものだろうか。


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2009-08-05 10:13:13| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【784】静かに打ち込むことが出来るネジ杭



1962年2月9日(金)

グリモーさんは金儲けが下手らしく、杭の研究に資産を使い果たして、銀行の財産管理を受けている様子だ。

しかし新しいパンフレットには、取引先の国に、日本が加わっている。

事務所の壁に貼られた世界地図にも、日本の旗が加わった。


昨年私がちょっと訪ねただけなのに・・・。

この小さな村では、私の滞在はちょっとしたニュースなのだろう。


杭をねじ釘のように、地中にねじ込む「グリモーのネジ杭」は、面白い発想と考える。

杭を打ち込むのに比べて、震動は少なく音も静かだ。

あるいは、上から打ち込まずに、横からねじ込むので、狭い場所でのくい打ちが出来る特長もある。


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2009-08-01 15:21:40| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【783】垣間見るフランスの田舎生活



1962年2月9日(金)

朝ホテルを出て、寒風のもとペダルを漕いで行くと、学校に行く子供たちと出会った。

その子供たちは私に向かって、口々に大声で「ボンジュール・ムッシュー(おはようございます)」と、挨拶する。

とても気持ちがいい。

何と行儀のいい、子供たちなのだろう。

「日本にもこんなところがあるかナァ」

と感心しながら進むと、突然警官から呼び止められて、職務尋問に会った。


一日、フォントネー・ル・コントの事務所で、グリモーさんの話をうかがう。

例によって訛りがあり、発音も明瞭さを欠くこの人の話は、私のとって難解である。

彼にとっても歯痒いだろうが、致し方ない。


来週私のために、わざわざ人夫を呼んでデモンストレーションの杭を一本打ってくださるようだ。

お陰で、この村で週末を越すことになる。


今日は冬のパリでは見られぬほどの、雲一点ない快晴。

しかし風は冷たく、室内は寒く、パリの温かい部屋が恋しい。


昼食は、働く人たちと一緒にレストランで済ませたが、5.5フラン(396円)もした。

オードブルに始まり、「ボアッソン・コンプリ(ワインつき)」の値段だが、フランスの食事は、こんな田舎なのに高い。

だが、昼休みは2時間あり、その時間をたっぷり使って食事を楽しんでいる。


夕方暗くなると、静かだったホテルがにわかに活気づき、賑やかになる。

一日の仕事を済ませた村の男たちが集まり、社交兼情報交換の場として、このひとときは大切な時間なのだろう。

次第にアルコールがまわり、愉快にやっているが、今朝職務尋問をやった警官が、制服のままグラスを傾け飲み仲間に混じっているのは、いかにもフランス的だ。


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2009-07-29 09:43:28| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

1962年のパリだより【777】ヴァンデーのグリモーさんを訪ねて汽車に乗る



1962年2月6日(火)

グリモーさんからの手紙は、まだ届かない。

日が長くなり、夕方6時ごろまで明るい。


1962年2月7日(水)

待っていたグリモーさんからの手紙が到着し、明朝ヴァンデーに向け出発することになった。

現在の体重74キロ。

出発時の体重に、ほぼ回復する。


1962年2月8日(水)

パリ・モンパルナス駅で、8時発のラ・ロッシェル行きに乗る。

二等車は気楽さを感じ、一等車と違った雰囲気が面白い。

客が平気で、窓からゴミを捨てる。

ヨーロッパの客車が、掃除が行き届いて綺麗なのは、ゴミを窓から捨てるからかも知れない、と思う。


日本と比べ、赤ん坊が不思議なほどおとなしい。

そういえば、いつか同室だった犬も、とてもおとなしかった。

フランスでは、犬を客室に乗せることができ、運賃は大人の半額だそうだ。


街を歩いていても、赤ん坊や犬のおとなしさが目立つように感じる。

しつけの良さだろうが、民族の老化現象の一つと考えられないこともない。


この線に乗るのは9回目だが、久々の汽車の旅のせいか、窓からの景色が新鮮に見える。

南に下ってオルレアンまでは、大きくゆったりと起伏する、イル・ド・フランスの大平原だ。

これこそフランスの、典型的な風景の一つと考える。


オルレアンからトゥールまで、汽車はロワール川に沿って走り、数々の美しいシャトー(城)が見える。

シャンボール、ブロア、アンボアーズ、…。

世界に名高い「ロワール川沿いのシャトー群」なのだ。



2009-06-14 02:32:13| パリだより・パリ日記コメント(0)トラックバック(0)

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