1933年ごろ 3歳
1910年(明治43年)に開業した、阪急電車(当時箕面有馬電気軌道)は、私の生まれた箕面村に都会文明を運んでくれる、文化のパイプだった。
私が2歳のとき引っ越した、桜井2番町の家は、阪急箕面線桜井駅まで3分くらいと近く、「ねえや」に連れられて駅を訪問することが、毎日の日課となっていた。
そのころの電車は一両(編成)で、宝塚線の石橋と箕面を頻繁に往復していた。
その電車は古いものが多く、それぞれが違った表情をしている。
私は顔の違った電車が次々にやってくるのを見るのが、好きだった。
しかしやがては駅員さんと親しくなり、駅員さんも私を待つようになった。
駅員さんは、私の歌を聞くのを楽しみにしていたらしい。
「朝はよぅ起きて 東山見れぇば おサルのケンケツ真っ赤っか」
この歌を歌えば、駅員さんは大喜びした。
駅舎の向かって左には、昔貨物輸送に使われていたと思われるホームが残っていて、その上に上れば、駅裏の畑がずっと山すそまで見渡すことが出来た。
そのころは、駅の裏には家がなく、田園風景が広がっていた。
枚方の火薬庫が爆発したときには、そのホームに上って、見事な火の海にしばし感嘆したものだった。
2007-04-16 02:58:17|
家族・子育て
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