footballista060号アフリカネーションズカップ特集 販売元:サッカーショップ加茂
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今週号のフットボリスタを買ったら(ちなみに上の号ではありません)、コラムのコーナー(p34です)に興味深い記事が載ってました。スペインで戦術家として知られる監督に「戦術」をテーマにしてインタビューしたら、そのインタビューの終わりに「日本人は戦術が好きだな。それはいいことだけど、戦術は決まった形がある訳じゃないから、戦術を知りたいならたくさん試合を見ないと行けない」ということを言われたとのことでした。これは面白いと思うんですよね。
この前から言ってることと通じますが、やっぱりこう「戦術を知りたいー>戦術家で知られる監督に話を聞こう」というのは、ある意味安易に過ぎる面もあるんでしょう。もちろん、そうやって自分では見えてないことを見えてない人に何かを学ぶというのは、それ自体はすごく好いことなんですけど、でもそれとは別にやっぱり実際の試合を見ることでしか学べないことがあるかなと。
なんでかっていうと、言葉というのは非常にデジタルなものなので、言葉で説明するとどうしても捉えきれないものが出てきてしまうからです。数字のような他の記号と同様、言葉というのも具体的な要因を切り捨てることによって成立しているので、どうしても言葉で説明しようとすると、切り捨てざるを得ないことが出てきましまうので、それを補うためにはどうしても実際に自分の目で見てみることが必要になってくるわけですよね。そう言う意味では、この「戦術家の監督」が、「戦術を学ぶのも好いけど、とにかくサッカーを見ろ」的なこと行ってるのは面白いなと思いました。
ところで、サッカーと言えば、日本が今度ワールドカップで当たるカメルーンがアフリカネーションズカップで負けてましたね。どういう負け方をしたのかわかりませんが、まあでもカメルーンならそういうこともあるのかなと。何しろ、彼ら集中力がないですからね。2002年のアイルランド対カメルーン戦をテレビで見てたんですけど、あの時も一点取ってからあからさまに選手の集中力が切れてて、見ててびっくりしました。なにしろ、アイルランドのコーナーキックでカメルーンの選手全員棒立ちって時もありましたからね。キーパーマジ切れしてましたけど、そりゃ起こるよみたいな。おかげで、最後の最後にアイルランドに追いつかれてました。
でも、考えてみると、これはカメルーンに限らないのかも知れません。手持ちのフットボリスタにも、アンゴラとマリの開幕戦で(ちなみにアンゴラが開催国です)、79分までアンゴラが4-0で勝ってて、その後11分間でマリが4点決めて同点になったという記事が載ってますし。11分で4点ってどんな試合だと思うんですが、でもそういや2009年の日本ーガーナ戦も多分10分ぐらいで3点決めて、日本が逆転勝ちしてました。あの時、スポーツ紙はみんな「ガーナはワールドカップの出場決めて疲れてたから、こんな逆転勝ちは参考にならない」と言ってましたが、確かにそれはそうなんでしょうが、でもこういう記事呼んでるとそれがアフリカクオリティー何じゃないかという気もしてきます。
だから、そう言う意味では、個人的には次のワールドカップで日本が勝てる可能性が一番高いのはカメルーンじゃないのかなと言う気もするんですよね。なんか、最初に2点ぐらい入れられて、「もう勝ったみたいな」気分になってカメルーンの集中力が欠けたところで、向こうのディフェンスラインがザルになって、なんとなく3点ぐらい決めて勝つというのが、案外あり得そうな気が…。逆に、最初のころをゼロで乗り切って、70分ぐらいで一点決められるというのが一番きつそうな気が。それくらいだと、向こうの集中力も持つでしょうし。なんとなく、大量得点の雑な試合に持ち込むと、案外勝てるのかなという気がします。
ところで、先日修士論文を出して、今はケルアックの翻訳をもっぱらやってるんですが、やっぱりこの方が楽しいですね。言語学向いてないのかな?まあ、個人的な一番の関心は、多分SLAの方にあると思うんですよね。やってみたら違うのかも知れないけど、授業受けてる分には、実に楽しそうだという気がするし。でも、SLAだとどうしても英語の話が大きくなってしまうのがどうも。僕は多分ロマンス語がやりたいんですよね。しかし、一方で、ロマンス語だとやはり横断的にやるのはどうしても難しいので、論文とかにまとめようとするといまいち上手くまとまらないというのはあるのかなと。なんつーか、いまいちどこに自分の身分があるのかよくわからないという気もしますし。まあ、でも上智はSLAとロマンス語をやるという意味では、かなり良い環境でしたが。まあ、しかし、そう言う意味では、多少博士課程進むというのも、冷静に考えると少し考えますね。
ただ、一方、自分の仕事をすると言う意味では、やっぱり上智いたほうがいろいろやり安いのかなあという気はします。ああいう風に色々な言語の専門家が集まる場所というのは大学以外だとあまりないですし、その利点を受けるためにはやはり学生の方がいいのかなと。まあ、色々考えますね。まあいいや。
まあ、しかし、何にしろ、今年は少し本の仕事を頑張ろうと思います。最近書いてくれという依頼はもらうようになってきたので、後は本を書くだけです。ていうか、ほんとは昔からそうだったんじゃないかという気もしますが。色々な人を見てて思うですが、筆で身を立てることの何を難しいって、仕事をもらうのが難しいんじゃなくて、単純に定期的に本を出し続けることが難しいんですよね。雑誌のライターとかは知りませんが、単行本の場合本を出すのはむちゃくちゃ簡単なんですよね。なんでかというと、本そのものを書ける人が少ないから。だから、一冊本を出したら、大体次の仕事はたくさん来るんですよね。
でも、単行本の場合は、書き上げた後じゃないとお金が入ってこないので、その間の生計をどうするかと言う問題が出てくるわけですよ。で、その結果結局他の仕事を優先にしてしまって、結局本が出ないということになっちゃうわけですよ。で、本を出すというのもやはりある程度のスキルですから、多分書けば書くほど出すのは早くなってくるんですが、逆に言うと書かないままだと多分ほかのことがどれだけ出来ても、書くスピードそのものはあがらないわけです。だから、そうやってほかのことを優先していると、書くスピードが遅いままだから、執筆でお金が入ってこず、ほかの仕事を優先せざるを得ないという悪循環に成っちゃうわけです。
まあ、じゃあ、どうすればいいかと言うことなんですが、これは僕もよくわかりません。何でかというと、自分自身まだそのステージにいるから。ただ、個人的には、ここでもやはり意図的にスピードを落とすことなのかなと思います。これはあくまで想像なんですが、なんでほとんどの人が本を早く書けないのかというと、多分あれは最初から本になる原稿だけを書こうとするからじゃないでしょうか?少なくとも僕の場合はそうでした。早く書かないとお金が入ってこないからと言うことで、効率的に書こうとするんですけど、当然書く過程で自分自身が変わってくるわけですから、当然効率的に書こうとしてもうまくいかないわけですよね。
でも、そうやって本の依頼が来るようになってわかったんですけど、書いたことってのはたとえその時に書いている本に載せられなくても、別の本の原稿の元になるんですよね。だから、あんまり効率的ってことを考えなくても、とにかく書いておけばいいのかなと。そうすれば、次の本のネタになるし。世の中には、恐ろしいペースで本を出している人がいますが、あれは多分書くスピードが速いと言うより、多分自分が書いたものを上手く整理して行くのが上手いんだと思うんですよね。だから、どんどん本が出せるし、その結果依頼がもっと来るようになるから、さらにうまく自分の書いたものを利用できるようになると。
だから、とにかく量を書いておくことが大切なのかなと。まあ、相変わらずまとまりがありませんが、多分そんな感じです。